宗教はどんな信仰から始まったのか?:矛盾は矛盾するのか

第2~4章

一向に本題に入らないまま、重箱の隅をつつくように色んな所をハッキリさせてきたわけですが、それもとうとうラストです。

 

今回は人はどのような信仰から宗教を始めたのか?というお話です。

 

いわゆる霊的なやつからなのか? それとも周囲の自然からなのか? 内側からなのか外側からなのか、そんな所に思いを馳せてみると面白いんじゃないでしょうか。

 

そして、いよいよ満を持して、デュルケームが研究したトーテミスムが出現します。

目次

・アニミスム(霊魂崇拝)とは?

・ナチュリスム(精霊崇拝)とは?

・真打登場!トーテミスム

・矛盾は本当に矛盾するのか?

アニミスム(霊魂崇拝)とは?

デュルケームはとりあえず原初の宗教を探るべく、アニミスム(霊魂崇拝)とナチュリスム(精霊崇拝)というふたつの崇拝について考察していきます。

 

まずアニミスムってのがなんやねんという話ですが、無機物だろうと生物だろうとあらゆるものに内なる霊魂が宿ってるって考えがアニミスムです。

霊

現実をアニメと考えると声優(霊魂)がどんな無機物にも声をあてることがでる。そんな感じです。

 

仮にこのアニミスムが宗教の根元だとしたら一体どうやって人類はこの思想に至ったのか?ということが重要になってきます。

 

その説明としてタイラーという人は夢をみたからじゃね?という説を唱えています。

 

寝ていると見知らぬ場所にいったり、死んだはずの人とあうことがあるので、寝ていると霊体になって肉体から離れられるんだなと思いこんだのが霊魂崇拝のはじまりではないかという説です。

錬る

で、死ぬのは永遠に寝てるようなもんだから、肉体から解き放たれて霊魂だけの存在になるんだろうな〜という想像をしたのではないか?ってことですね。

 

これがどうして物や自然、動物にまで拡張したのかって話に関しては、

1.原始人はアホだから人と他のものの区別がつかなくて、なんにでも霊があると思っちゃった(タイラー説)

 

2.先祖を比喩的にトラと呼んでだり、山から生まれたといったりしてたけど、原始人はアホだから世代が続くうちにホントにトラとか山が祖先だと思っちゃった(スペンサー説)

 

が紹介されていますが、どっちもなかなか苦しい説ですね。原始人、どんだけアホだと思われてるんだ?

omg

実際デュルケームも、そんなわけないやろ的なツッコミを以下のような感じで入れまくっています。

つーかそもそも、夢からそんなことを想像したっていうけどさぁ、昔は太陽の大きさだってマンホールくらいだと考えてたくらいだから、原始人がそんな深く考えるわけねぇだろ、てかさぁ、死者の夢を見て何か感じるには先に死者への信仰がないといけないし、アニミスムじゃ宗教の起源は主張できねぇよなぁ。(意訳)

 

はい、デュルケームも原始人なめてます。原始人はもっと怒っていいと思います。

また、死者に対する崇拝である先祖崇拝はエジプト、ギリシャ、中国、ローマなどある程度は文明が進んでないと確認されないんだそうです。

 

他にも霊魂が宗教の起源だとしてしまうと外でふらふらしてる精霊が説明できなかったり、

 

ギリシャやローマには半人半獣の神がいるように動物への信仰の方がはやかったのではないか?という感じの疑問があります。

 

そんなわけで、デュルケーム的にはちょっと宗教の起源とは言えないかなという感じのようです。

祈りとか生贄とか儀礼とかが全部単なる夢から生まれたってヤバくね? 宗教から法律とか道徳とか科学が生まれたけど、それが全部夢からはじまったとか正気か(笑)

そんな幻想を科学するみたいなことできなくね?(意訳)

 

やめて、アニミスムのライフはもうゼロよ!

ここまでの参考:デュルケーム『宗教生活の基本形態(全)』第二章 アニミスム

ナチュリスム(精霊崇拝)

じゃあナチュリスムはどうなんだ?って話しですね。こちらは人よりも先に自然現象や動物に崇拝が行われたのではないか?という説です。

大自然

宗教の起源として、夢とか言うふわっとしたものを軸にしているアニミスムよりナチュリスムは経験的で現実に即した路線を取っており、宗教は大いなる自然から始まったとしています。

 

ナチュリスムには高次の神みたいな存在はほとんどおらず、雷とかで偶然起きた火とか、あるいは太陽とか川とか無限を連想させるような自然がナチュリスムの根底となっている、ということです。

 

マックス・ミュラーがヒンドゥー教の聖典ヴェーダを研究した結果、神々の名前に色んな言語の共通点を見つけたというのも、ひとつの理由です。

 

ヴェーダの火の神アグニ(Agni)はラテン語のイグニス(Ignis)、リトアニア語のウグニス(ugnis)、古代スラブ語のオグニ(ogny)といった感じで火について共通しているということです。

 

こうした言葉は本来は単純に火などの自然を意味していたのですが、「動く」とか「増える」とか動詞で呼んでいる内に、霊的な存在になって神聖さを得ていって神になったのではないか?とのことです。

そうなんだ

 

たださすがにこれはこじつけすぎじゃね?という疑義が出ています。

 

そもそもこういった神は神話になっているわけですが、神話には宗教的な儀礼がついてきます。中には意味不明な神話に意味を付け加えるために儀礼をやったりもしているので、

 

単なる言葉の上での変化だけで、強制力のある儀式を持った宗教が生まれるだろうか?ということです。

 

また確かに自然というのは壮大で驚異的ではありますが、原始人にとっては当たり前にそこに存在しているものでもあるので、それが聖なるものになるのか?という疑問も残ります。

 

さらにデュルケームが調べた原始的な宗教(トーテミスム)には大自然に対する信仰は少なく、崇拝の対象になっているのはもっと身近な小動物などだったそうです。

 

というわけでデュルケームはこのナチュリスムが宗教の起源であるという説については「言葉遊びで宗教って生まれなくね?」という結論をぶちこんでいます。

悔しい

多分ですがアニミスムもナチュリスムもあんまりガチで起源を主張しているわけではなかったと思います。どっちかと言えば信仰形態の調査が主だったろうし、あくまで想像に基づいたものっぽいので、その理屈にはまあまあ穴がありますよね。

 

デュルケームによって現実に存在している原始的な宗教であるトーテミスムの良さと対比するダシとして使われた感は否めません。

ここまでの参考:デュルケーム『宗教生活の基本形態(全)』第三章 ナチュリスム

真打登場!トーテミスム

いや~アニミスムもナチュリスムも、原初の宗教を主張するにはちょっと弱いですね~。ということで、みなさんお待ちかね、デュルケームが研究したトーテミスムの登場です!

トーテム

この章の内容はざっくりこんな感じです。

オーストラリアのトーテミスムはやべぇぞ。先行研究もいっぱいあるし、色んな人が研究して全体像が見えてきてる。

 

アメリカンインディアンのトーテミスム? あいつらは家どころか村を要塞化したりしてて確かに安定してるけど、近代化しちゃってるんだよなぁ。

 

オーストラリアのトーテミスムはすげぇ原始的だからね。だってあいつら家すら持ってないもん。それにまだまだ安定してないからね。

 

つまりオーストラリアのトーテミスムが今熱い!アメリカンインディアンのトーテミスムは……まぁ補足くらいに使ってやるよ。 ※わりと使います。

 

一行で要約すると、「トーテミスムすげぇ」これに尽きます。

以上が第四章の内容です。そしてKindle上での進捗率も20%! すごくね? まだ80%もあるなんて……どうしたらいいんだ。

 

ちなみにこれでとうとう「第一部・完」です!

すべりだい

矛盾は本当に矛盾するのか?

トーテミスムはより原始的な宗教としてこれから、人類の信仰がどんな風に構築されていったのかが説明されるものと思われます。

 

しかしながら、アニミスムとナチュリスムも単に起源ではないというだけで宗教を考える上で重要な位置を占めていることもまた事実でしょう。

 

アニミスムとナチュリスムの関係はある意味では内と外、陰陽の関係にあるとも言えます。ナチュリスムは自然、人類の外にずっとあったものであり、アニミスムは霊魂、人類の内にあるものです。

いにゃん

ちなみに人というのはちょっとした自然や、自然の写真があるだけでもストレスが軽減されたり免疫力があがったりするそうです。自然の力というのは信仰というよりも本能にブッ刺さってる感じがします。

 

また霊魂というのは存在が不確かなものではありますが、霊魂があると仮定しただけで類の死生観から道徳まであらゆるものに影響を与えたとんでもない発明だと言えるでしょう。

 

京都大学の望月新一教授が様々な難問の解決に活用できるとして発表した『IUT宇宙祭タイヒミュラー理論』も、ざっくり説明すると問題の答えっぽい形を別次元でつくって、それを現実に当てはまるように再計算してこちらの世界に持ってくるという話らしいので、

参考:abc Conjecture and New Mathematics – Prof. Fumiharu Kato, Oct 7, 2017 (with English subtitles)(ニコ生で行われたITU宇宙祭タイヒミュラー理論の一般向け解説がYouTubeにアップされたもの

 

こんな感じで存在しないものを仮定するというのは上手く使えれば人類にとってとてつもない力をもたらしてくれます。虚数なんかもそういった向きがあります。

 

一見すると矛盾している物事をどうやって両立させるか? を考えることで新しい発想にたどり着けるという「ヤヌス的思考法」なんてのもあります。

参考:【ヤヌス的思考】あらゆる問題解決に役立つもっとクリエイティブな発想法

 

合気道の技法なんかも、押しながら引くといった感じで相手は押されているように感じるんだけど、こちらは実は引いているというような具合で矛盾した事を同時にやって人を動かしているのです。

釣りあい

キリスト教だって一神教なのに神とキリストと天使がいるという矛盾について三位一体でひとつ!みたいなことを言ってます。

 

このように物理だろうが思想だろうが、矛盾を矛盾させない方法を考えると、また新しいものが生まれてくるのかも知れません。

 

こうした矛盾こそが人の力になっているとも言えます。宗教とはやはり人類の歴史に深く関わっているだけあって、考えれば考えるほど色んな面が見えてきますね。

 

さて、次回からはいよいよトーテミスムの世界へと入っていきます。お楽しみに!

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