宗教とそうじゃないものの違いはなんだ?:合気道は宗教か

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隙あらば武道ネタを差し込みながらデュルケームの『宗教生活の基本形態(全)』を解説してみようという試み、第二回です。

 

今回はざっくりいうとアイドルは宗教か否か?みたいな感じの話だと勝手に思ってます。

 

宗教の最小単位は何か? つまり最低限何があったら宗教と呼べるのかという話です。

 

合気道がこの定義に当てはまるのかどうかも個人的には気になる所。

目次

・神だの神秘だのは重要じゃない

・重要なのは聖なるもの

・合気道と神と神秘について

神だの神秘だのは重要じゃない

おれたちは一体何のことを宗教と呼んでるんだ?っていう根本的なことを探求するところから第一章がスタートします。

宗教って言われたらまっさきに思いつくのが神と神秘みたいな所だと思いますが、デュルケームは「そう思うじゃん?」という感じですかさず否定してきます。

 

仏教は自分が修行して解脱(輪廻転生の輪から外れること)が目標なので、神はそんな重要じゃないし、宗教によっては神を生み出したり、欺いたりするものもあるから神がメインじゃないんだよ!とのこと。

 

あとキリスト教とかでも宗教にはつきものである儀礼には神が全然関係ないルールも多いとしています。つまり神がナンバーワンの宗教であっても、それとは関係ない要素がめっちゃあるということですね。

 

神とは「見えざるピンクのユニコーン」のこととかいう概念があります。神は見えないのにピンク色してると信じられてるユニコーンのようなモン!という皮肉ですね。

参考:見えざるピンクのユニコーン(Wikipedia)

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そういう意味では神とは単なる概念であって、どこにでもいてどこにもいない存在なのです。

 

つまり神、重要ジャナイ。

 

また儀礼というのは教義みたいなものなので、基本的にはただ従っときゃ良いものでもあります。『パッケージ』や『型』になっている様式とも言えます。

 

そこに神秘的な要素は何もありません。デュルケームは「神秘なんか文明が未発達の場合はそもそも神秘が起こってることが理解できねーだろ!」的な感じのことを書いています。

科学が発展してきたのはここ200年くらいであり、それ以前は「神にお願いして雨降らすとか、常識的に考えて降るでしょ、降らない? 御供物が足りないんでしょ」みたいな価値観だったということのようです。

 

16世紀後半くらいに活躍した哲学者のライプニッツは霊性があることの方が合理的だと考えていたりして、霊性を神秘だとは思ってなかったといった例もあげられてます。

 

神秘とは人が少しばかり賢くなってから生まれてきた概念であり、最初からあったわけではないのだとか。

 

つまり神秘、重要ジャナイ。

じゃあ何が重要なのかと言うと……。

重要なのは聖なるもの

そもそも宗教ってのは色んなものが組み合わさってひとつの塊になってるようなもので、なんなら他の宗教を取り込んだりしています。

 

古事記では征服した相手の国の女性を妻にして、その国との融和を図るってやり方でいくつもの国を治めます。出雲大社なんかは戦争においては敗者だった側が信仰していた神・大国主大神を祀っていることで知られてます。

参考:神話を訪ねて(第13回)出雲大社

 

敵国とかの宗教もうまいこと自分たちの神話にとりこんでしまえば、敵対しなくても良くなるってわけです。こんな感じで発展していった宗教というのは色んな宗教をまぜまぜしてるので、その中から共通点はコレ!と引っ張り出すのは難しいわけです。

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そこでデュルケームは逆にもっと大きな枠にはめて宗教かそうでないかを判断することにしました。その枠組みが聖なるものか?俗なるものか?です。

 

「聖なるもの」という信念こそがあらゆる宗教に存在している共通項であり、宗教とそうでのないものを別ける基準だとしたのです。

 

言われてみれば仏教には釈迦の骨である仏舎利とか、キリスト教にも聖遺物とか、イスラム教にもアーサールとか、聖なる物は確かにあります。

なるほど

いくら一神教とか偶像崇拝禁止とかいってても、推しのアイドル(教祖)の使用済みアイテムは聖なるものになってしまうんですね。人間だもの。

 

まあそれだけではなく、聖なる言葉、聖なる動作、聖なる儀式、聖なる動物、聖なる石ころ、などなど、明らかに俗世間とは区別されているのが宗教であり、このよのあらゆるものは「聖なる物」状態と「俗なる物」状態のどっちかにしかなれないのです。

 

「国民的アイドル」と「ワンチャンありそうな地下アイドル」のファンだとやっぱファン層(崇拝方法)が違うんじゃないかってことですね。

アイドル

ただ、もちろんのことながら地下アイドルが大ブレイクして国民的アイドルになることもあります。

 

その場合、ファンは「遠い所にいっちゃったな~」という感覚を抱くわけですが、このあたりの感覚、遠く感じるのが聖なるもの、近く感じるのが俗なるものという区別もできるかも?

 

聖なるもの俗なるものという区別は、視点の違いといってもいいのかも知れません。そこらへんのデカい石だって、なんか神社のご神体とかいってしめ縄とかして祀ってあったらなんかスゴイ石っぽい気がしてきますよね?

 

特撮というバンドに「猫かと思ったらパンだった。でも、一斤もあるじゃん、スゴイ」という感じの壮大な歌があります。視点を変えればスゴイ!そういうことなんだと思います。 どういうことだ!? 

参考:特撮「ケテルビー」(YouTube)

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さらに宗教に欠かせないものとして、集合場所としての教会も付け加えられます。

 

聖なる偶像(アイドル)と集合場所(ライブハウス)、ファンにしかできないコールや振り付け(儀礼)、あれ、これやっぱりアイドルの話かな……?

 

と思った所で、宗教に近いものに呪術があるという話が出てきます。呪術は宗教によく似ているけれど教会のシステムが違うということで区別できるそうです。

 

それによれば教会というのは司祭が支配者ではなく、司祭も信者のひとりであり、平等な集団が集まる場所なんだとか。

 

呪術の場合は集会はあっても呪術師が場を支配し、信者達全員の結束を高めたりはしないとのこと。

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その基準で行くと、アイドルは呪術!? 議論のわかれそうな所ですね。

 

まぁアイドル業というのは興行なので、時代と共にビジネスが宗教をハックしたといったところなのかも知れません。ビジネスっぽく見せないことが大事なんてこともよく言われてるし、そこら辺も宗教を参考にしている感じがあります。

 

「呪術」は一子相伝の武術みたいなモンと考えることもできます。他人にバレたら術が対策されるので知られないことに意味があり、秘密裏に行われるものという意味で似ています。

 

柔術を柔道へと変えた嘉納治五郎の言葉に「術の小乗を脱して道の大乗へ」という言葉があります。これも一種の遠近感を表しているように思います。神道にも道とつくように、道というのは果てしない感じがあって「聖なる信念」という感じがあります。

 

呪術と宗教もそんな感じの関係にあるのかも知れません。

合気道は宗教?

デュルケームは宗教っぽく見える要素として「従属関係」というのをあげています。

 

王に対する家臣、権力に対する野心、指揮官に対する兵士、アイドルに対するファンみたいな感じです。そしてそれは神に対する信者も同じだとか。

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この関係は宗教っぽくはあるけれど、実はお互いが依存しあっている点で本質的な部分ではないのだそうです。従属の関係というのは両方がいないと成り立ちません。

 

聖俗のように分離させることができないので、宗教を定義する上での本質的な所とは異なるってことらしいです。

 

デュルケームは結論として宗教を以下のように定義していました。

聖なる事物(分離され禁止された事物)に関わる信念と実践が連動した体系であり、これらの信念と実践に従うすべての人々を教会と呼ばれる道徳的共同体に結びつけている。

 

合気道もあんまりおおっぴらには言われませんが『神人合一』を目標としていたりします。神と一体となるということですね。一口に神と一体になるといったって、やり方は色々あると思います。

そうなんだ

武道なのでいくら口で「おれは神と一体になってっから」と言っても技が効かなきゃ何の意味もないというところが宗教や哲学とちょっと違うところかも知れません。合気道的な神との一体化は物理的にも正しい動作ができるってことでもありますね。

 

物理だって神のつくった法律ですし。

 

そんな神との合一という『聖なる目標』を多くの人と共に目指す集合場所として『道場』があるといえるかも知れません。なので現時点では宗教的な要素もあると言えますね。

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昨今のコロナウイルスによって、教会という概念が変化してきてる感じもありますね。接触を伴いまくる武道の道場なんて、それどころではありません。

 

そんな武道にも「触れずに倒す」というような神秘があります、人を触りもせずに倒すなんて科学的じゃないように思えますが、自分も実際にやってみるまでは不思議でしょーがなかったです。

 

ですがやってみて理屈がわかると不思議じゃなくなります。わかったからといってホイホイ出来るわけではないでが、神秘的に見えるものというのは知識がないだけってことがけっこうあるんですよね。

 

 

宗教も神秘のベールは科学によって剥がされつつありますが、今の時代でも依然として宗教は幅を効かせまくってるので、そういった意味でも神や神秘は重要な要素ではないというデュルケームの考えは当たっているのかも知れません。

ここまでの参考:デュルケーム『宗教生活の基本形態(全)』第一章 前提問題

 

さて、これが第一章の解説になります。進行具合は全体の9%です。(あれ?前回から4%しか進んでなくね?)

デュルケームが果てしない道に感じる・・・。そんなわけで続きはコチラです。

宗教はどんな信仰から始まったのか?:矛盾は矛盾するのか

※マツリくんは知った風な口をきいているだけなので、何かツッコミ所があれば是非教えてくださいませ。

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