合気を巡る冒険:大東流の合気とは何だったのか?

合気とは何か?

合気道における合気とは何かをハッキリさせるために、「合気」が何だったのかを整理する目的で行う「合気を巡る冒険」ですが、合気を語るうえで大東流を外すことはできません。

 

しなしながらマツリは大東流をやったことは一切なく、実際の技法を体験したというわけではないので、あくまで資料に基づいた見解を出したいと思います。

 

個人的には大東流の合気の技法は合気道とも共通点があると思っています。

 

そんなわけでそれがどういうことなのか、大東流の合気とは何だったのか?を巡っていきましょう。

目次

合気之術とは何か?

合気の指導方法

大東流の合気

合気之術とは何か?

大東流では「合気之術」といった名称でも呼ばれている合気ですが、合気之術は大東流が独自に編み出した技術ではありません。

 

『近代武道・合気道の形成「合気」の技術と思想』によると、合気之術が公式にこの世に確認されたのは、1899年武骨居士という人が出版した『武道秘訣 合気之術』からだそうです。

参考:国会図書館デジタルコレクション武骨居士『武道秘訣 合気之術』

 

武骨居士によると合気之術というのは以下のようなことだと説明されています。

「二人がまさに戦い始める直前、まだ剣を抜いてない時に、すでに一方が相手の気を制していることがある。端から見てもわからないけれど、相対する二人の間では勝負がついており、もう敢えて争う必要も無い、これを合気之術と言う」

武骨居士『武道秘訣 合気之術』マツリ意訳

 

「またまたぁ、そんなことホントにできるんっすかぁ?」というような内容ではありますが、

omg

武骨居士はこの技術のことを奥義の中の奥義としており、技法の内容としては相手の先、もしくは先の先、あるいは後の先を取って、気合(発声)でもって相手の動作を封じるということらしいです。

 

つまり、これまでの合気の概念とされていた膠着状態から一歩進んで、さらにその先を取ってしまえ!ということがおおまかな内容になっているのです。

 

その他にも気合術として同じような技術が催眠術の研究者(1911年古屋鉄石『気合術独習法』、熊代彦太郎『気合術ー殺活自在』)などによって研究されたらしく、修験者など武術とはまた違った分野で発展していた技術だったのかも知れません。

 

なにやらちょっとオカルトな技術だと思われそうですが、資料ベースでは大東流に存在する合気之術がこれと近いものであった可能性はけっこう高いです。

気合だ!

また植芝盛平の弟子である望月稔によると合気術というのは動物にかけるパフォーマンスなどがあり、実際に柔道家のひとりがいつもネズミに合気をかけて動きをとめて捕まえているのを見ていたそうです。

 

ナチュラルに家にネズミがいるってもはや今では考えられませんが……。

 

ただ望月稔は「この術がはたして人間相手にして効くものであるのかどうかは、結局わからなかった」とあります。

参考:望月稔著『「道」と「戦」を忘れた日本武道に喝』

 

大東流の歴史において資料にはじめて合気術が登場したのは武田惣角のものではなく、惣角から教授代理(師範代的なやつ)を許された佐藤完実(さとう さだみ)のものになります。

 

『近代武道・合気道の形成「合気」の技術と思想』によれば、この人は帝国尚武会という組織で武道の通信教育をやっていたというちょっと変わった人で、そのテキスト『武術最高極意ー天之巻』に気合術として解説があったそうです。

 

術の内容としては先の武骨居士の合気術とほぼ同じなのですが「気合術と合気術との関係」という項目をつくって合気術の説明がされており、

 

合気術と気合術はその意味においてほぼ同じながら、合気術は無心合気であり静的な方面、気合術は有心合気であり動的な方面を担っているとのことです。

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合気とは心が落ち着いた状態であり、気合とは迷いなく動くことだとも説明されています。

 

もちろんこの気合術は帝国尚武会のテキストなので大東流の合気之術であるかどうかは確かではありません。

 

ただ、大東流側の発言を聞いていくと、合気術と気合術がベースにあると思われる発言が多くあります。例えば武田惣角の息子である武田時宗は合気についてこのように語っています。

大東流における「合気」の意味を尋ねられての返答

大東流の中の「合気」とは、結局後の先なんですよ。後の先を簡単に「合気」と言っているのです。先先で言ってるのは「気合」です。「気合」がなければとても相手に対せないですよ。 警察は柔術(気合、攻撃型)ですね。攻撃する、つまり護身でない、積極的な柔術でないとできないのです。「合気」という言葉は使いません。あくまでも柔術なのです。

(中略)

「合気」とは、押してきたら引く、引いたら押してやるという、気に合わせる緩急の精神です。反対に気合というのはあくまでも押すのですが、合気は逆らわないのです。

剣道でも同じことですが、自分が攻撃したら負けるのです。先に斬り込んだら負けることになるわけだ。みんな後の先なんだ。斬り込まなければいいんだ。

(中略)

それから先先というのは先に攻撃して勝つのです。気合で勝つということです。だから一刀流はほとんど後の先ですね。剣道の形も後の先です。必ず攻撃したら負けです。

『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』より抜粋

 

というわけでこれも合気術と同様の意味合いで使われています。合気と気合という考え方も佐藤完実のテキストでの説明をさらに具体的にしたような感じです。

 

ただ、武田時宗の弟子である近藤勝之が言うように、あくまで合気柔術の技法のひとつとして合気術があるという位置づけではあります。

大東流合気柔術の中に合気之術(合気術)が含まれております。この合気之術はたいへん華麗な技で、大東流を代表する技の一つです。

(中略)

それに合気というものはすべて公開していいものだとは思っておりません。今我々が公開できるものは、ほんの一部のある種の合気だけです。全部を公開するなんてことはとてもできません。私たちが演武で公開してるのは秘伝目録で大東流のほんの一部でしかないわけです。

『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』より抜粋

 

そんなわけで、一般に公開できる範囲での説明としては合気術と同じく「先」を取ることだったと考えられますが、具体的にどう「先」を取るのかということが恐らく重要になってきます。

 

どのような稽古を行って先を取ることを合気としていたのかをこれから見ていきます。

合気の指導方法

佐川幸義によると惣角から学んだ父親のノートには1913年5月14日に「アイキをかける……」という言葉が随所に出てきているとして、昔からアイキという言葉は稽古でも使っていたと証言しています。

参考:武田惣角と大東流合気柔術 改訂版

 

ただ、この頃の大東流は惣角の秘密主義も手伝ってほとんど指導内容の記録がありません。稽古の時は道場を閉め切って誰も見ていないことを確認して行っていたと言われています。

 

覗き見した人が惣角にマジギレされて「殺してやるっ!」と追い回されたとかいう逸話すらあります。

逃げろー

その他にある情報としては、同じく佐川幸義が「武田先生は合気柔術と柔術を区別して教えていました。」という話をしています。

参考:武田惣角と大東流合気柔術 改訂版

 

これについては、惣角から3年に渡って合気を学んだという堀川幸道も同じようなことを言っていたらしく弟子の井上祐助が惣角の教え方については、剣のたつ者は剣で、力のない者は合気柔術で、力のある者は柔術でいけと」教えていたそうです。」と答えています。

参考:武田惣角と大東流合気柔術 改訂版

 

堀川幸道が惣角に入門したのは1914年とのことなので、名称が大東流合気柔術になる前のことになります。当時は合気柔術とは呼ばなかったのかも知れませんが、合気を中心に学んだのだと思われます。

 

惣角の息子であった武田時宗も同じ大東流の久琢磨に対して惣角の指導内容について手紙でこのように書いています。

久先生は力量があるので極め技が主として教えられ、植芝、堀川諸氏は非力のため、合気投げを主として教えられております。

『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』より抜粋

 

堀川幸道、佐川幸義、武田時宗という武田惣角の高弟とも言える三人の証言なので、信憑性は高いと考えられます。それによれば惣角は合気術を技術として、特に身体が小さい人に向けて指導していたようです。

 

ではどうして柔術と合気と剣に分けて指導していた大東流が合気をメインにしはじめたのでしょうか? これにはいくつか理由があると思います。

 

現在まで名前が残っている弟子が久琢磨を除くと小柄な植芝盛平(156cm)、堀川幸道(150cm)、佐川幸義(163cm)といった合気を学んだ人々だったことも理由の一つでしょうもちろん惣角自身が小柄だった(150cm)ということもあるでしょう。

釣りあい

しかし決定的なのはおそらく植芝盛平が大東流の名称を大東流柔術から大東流合気柔術へと変更したことにあると思われます。

 

植芝盛平は武田惣角に惚れ込んでいたようで、大東流柔術をみっちりと習います。甥の井上鑑昭によると惣角に習う為に朝馬に乗って出発して、夜に惣角の逗留先についてそれからずっとそこに滞在していたとのことです。

参考:どう出版『植芝盛平と合気道Ⅰ開祖を語る直弟子たち』

 

そして1922年に惣角から5ヶ月に渡って稽古を受ける中で惣角の許しを得て流派名を大東流「合気」柔術へと変えます。その後に授かった「合気柔術秘伝奥儀之事」と「大東流合気柔術教授代理」にはちゃっかりと「合気柔術」の文字が入っています。

参考:どう出版『植芝盛平と合気道Ⅰ開祖を語る直弟子たち』、工藤龍太『近代武道・合気道の形成:「合気」の技術と思想』

 

このことは植芝盛平の息子である植芝吉祥丸や甥の井上鑑昭も同様に語っており、大東流に残されている英名録からもほぼ間違いなさそうです。というかそれ以外にこれと言って流派名をいきなり変える理由が見当たりません。

 

ただ、どこの馬の骨ともわからんやつに流派名を変えませんか?って相談されて、OKするわけもなく、植芝盛平がよほど信頼できる弟子だったからこそだと思います。

 

その後、1924年に出口王仁三郎とともにモンゴルに渡り、銃撃されたり捕虜になって処刑されかけたりするという経験をして日本に戻り、1925年、黄金体体験と呼ばれる一種の武道的な悟りというやつを経験します。そして盛平は大本教から離れて東京で軍や貴族に指導を開始します。

王仁三郎

ここで、なんとこれまで一般に公開されていない情報であった合気の稽古内容についてノートにまとめていた人が現れます。海軍大将であった竹下勇です。東京の原宿竹下通りに住んでいたあの竹下勇です。

 

彼が植芝盛平の下で大東流合気柔術を修行をしたことで、このノートがつけられたようです。基本的に大東流の稽古内容は秘密なのですが、当時の植芝盛平は大東流から独立したがっていた様子もあり、

 

また竹下勇は東京に出てきた植芝盛平を様々な政府要人に紹介しており、パトロン的な存在でもあったためノートを取ることをさすがに禁止できなかったのかも知れません。

 

その時の稽古内容をメモした二冊のノートが『乾』と『坤』なのですが、字が ド下手くそ とっても個性的なのでもはや暗号です。

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これは早稲田大学の研究チームが一文字ずつ解読して当てはめていくというとんでもない作業を行った結果内容が判明しました。マジで凄すぎます。

 

そこには合気についての記述がありまして、こんなことが書いてありました。

合気の事
相手の心を洞察し之を自由に操縦するを得るに至れば最も妙なるが始めは彼が我に触る機に彼我一体となり彼は我の延長なりと心得以て彼を制し得ることを習錬すべし 遂にはその妙処に達するを得べし

参考:工藤龍太『近代武道・合気道の形成:「合気」の技術と思想』

 

相手の心を洞察して自由に操れるなどと書いてありますが、まずは相手と接触した時に相手を自分の延長と考えて制する訓練をする的なことが書かれています。

 

文章を見るとややオカルトな感じがすると思いますが、合気道でも相手と接触する瞬間を利用することはあるので、そういった技術のことなのではないかと考えられます。

 

さらに技の説明として合気が使われていたこともわかります。

呼吸投の注意
一、彼の出鼻を合気にて我と一致せしめ一身となし之を思ふ様に操縦す
一、彼の体の動き、心の動きを能く洞察し、或は遂に第六感にて自然に感知して之に気を合せ彼を自由に制するを最も善しとす

参考:工藤龍太『近代武道・合気道の形成:「合気」の技術と思想』

 

出鼻を合気するとあるように、やはり「先」を取るといった概念として使われている様子もうかがえます。さらに相手と気を合わせるという意味でも使われていたことがわかります。

合気

また、合気という言葉は呼吸と言う言葉と共に、ノートの随所に登場しているらしく工藤龍太により、おおまかにこのようにまとめられています。

両史料(乾坤)に記されていた合気は何れも技術的意味で用いられていたが、用例ごとの性格に若干の相違があるものと思われるため、以下にまとめる。

 

・相手が自分に触れる(腕や衣服などに組みつかれた)瞬間に、相手を自分の体の一部として相手の動作をコントロールして「制する」こと。最終的には相手の心を洞察し、相手を自由に操縦するようになる。

 

・自分と相手の動きのタイミングを合わせる技術であると同時に相手を思うようにコントロールする技術。

 

・気合をこめて相手の攻撃を捌くことで合気がかかり、上手く相手に合気がかかると、それだけで相手を倒すことができる。ここでの合気の意味は、接した瞬間に相手を反撃不可能な状態に崩してしまうことである。

 

・相手につかまれた手首や体の一部に「呼吸(合気)を入れ」る何らかの身体操作。現在の合気道や大東流の指導者も用いる「呼吸力」や「統一力」と同義の概念であり、接した相手のバランスを崩したり、相手の攻撃を捌くことに用いられる。

参考:工藤龍太『近代武道・合気道の形成:「合気」の技術と思想』

 

1983年に要人への指導のために発行した写真付きの解説本『武道』にも合気の練習法が載っており、掴まれた瞬間に相手や突きを受けた瞬間に相手を崩す写真があり、詳細は口述となっています。

 

根本的に先を取る技法だからこそ、写真などでの解説が難しいので教えるときは口述となるのではないかと思われます。

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その後、植芝盛平と武田惣角の両方から指導を受けて大東流合気柔術の免許皆伝を受けた久琢磨が1942年に発行した『女子武道』にも同じような表現があります。

両膝を立ると同時に掴まれし左手に呼吸(合気)を入れ頭上に上げつつ右手で相手の左手首を逆に掴む

参考:工藤龍太『近代武道・合気道の形成:「合気」の技術と思想』

 

といった感じに呼吸と合気が同じような使われ方をしながら、合気を掴まれて拮抗した状態から動く方法として書かれています。

 

このようなことから考えると大東流での合気とは、以下のことをすべて合気と言っていたことになります。

 

・気合術のように気合でもって「先の先」を取ること

掴まれた瞬間を利用して相手の先を取ること

・掴まれた後、拮抗した合気を利用して後の先を取ること

・相手と気を合わせることで結果的に先を取ること

 

つまり大東流の合気というのは全般的に「先」を取る技法のことだと言えます。

大東流の合気

最後に大東流の合気が実質的にどのようにして「先」を取ることを考えていたのかを資料からわかる範囲で考えてみたいと思います。

 

朝日新聞社で植芝盛平と武田惣角から習った久琢磨は、「植芝盛平先生について、合気術という、関節の逆極め技を特長とする柔術の勉強鍛錬につとめた」と語っています。

参考:武田惣角と大東流合気柔術 改訂版

 

そして自身の著書では「植芝先生も大東流の真髄たる関節逆技を少なくし、合気投げを主とするようにして一般向きに改変し……」とあるので、合気をかけた上で関節とは逆に曲げるような危険な逆技が多かったようです。

参考:武田惣角と大東流合気柔術 改訂版

 

その久琢磨の弟子、森恕は合気についてはこのように説明しています。

しいて科学的に言おうとするならば、呼吸と重心だと思います。呼吸は今のタイミングに属することで、それと同時に、同じように動きながら、その動きに虚と実があり、しかも力を入れる、力を抜く、そういう虚実と緩急のコツがあります。そういうものを全部ひっくるめて呼吸と言いますね。

『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』より抜粋

 

ここでも合気は呼吸(タイミング)などと関連していることがわかります。

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さらにこのような発言から、やはり合気と気合のような先の先、後の先といった考えを教わっていたようにも思えます。

初伝の技は、タイミングとしては、相手が攻撃をまさにしようとしている時に飛び込んで受けなければいけませんね。そうするとこれは「後の先」になるのでしょうか。こちらから攻撃しているわけではないですから、少なくとも「後」ですね。さらにその時に機先を制するのですから、「後の先」でしょうね。総伝技になってくると同じ「後の先」なんだけれども、遅れてもできる技法ですから、むしろこれは合気に近いのではないかと思います。

『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』より抜粋

 

そして呼吸としての解釈ではあの岡本正剛がこのように説明しています。

(質問)合気道では、相手の攻撃の方向に合わせて技を掛けていくのですが、岡本先生の技では、攻撃する相手のタイミングとリズムをバーンと逆方向へ壊してしまうという印象がありますが、そういう原理が働いていますか。

ありますね。それは乱取になると特にあります。ああいうタイミングというのは、ごく近くまで寄せないと駄目なんです。遠くではちょっと難しいですね。九十九パーセント掴もうとした瞬間にタイミングを狂わす。あんまり早くだと攻撃を止めてしまいますから。 力で押すというよりボルトで言えば、何百ボルトの電流が流れるような、ショックを与えるようにすると、相手が条件反射を起こすのです。

それと、本当に柔らかくなる技があります。本当の合気ですね。全身で呼吸するつもりでやらないとだめです。手先だけではいけない。相手の呼吸を自分の呼吸に合わせてしまう。すると、相手は硬直し、こちらの体の分身、一部となってしまう。ですから相手をあまり重くは感じないで動けるということです。

『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』より抜粋

 

というような感じです。大東流にも気を合わせるといった考えや、呼吸などが取り入れられており合気道とも同じような考えで行っているようにも感じられます。

 

もちろん先を取るための細かいテクニックは様々な形で発展していっていることでしょうけれど、そのあたりはもはや見ただけではわからないので、文章ではここらへんが限界だと思います。

 

ぶっちゃけ合気術というのは言うは易し行うは難しという感じの技術だと思います。先を取ると口でいくら言っても実際にできなきゃ絵に描いた餅です。

 

ですが、それを武術において実用レベルに持っていけたのは、やはり様々な武術を学んできた惣角の存在が大きかったのではないでしょうか。

ただ武田惣角が一般公開を嫌ったこともあり、合気という言葉だけが一人歩きしてしまった感があります。

 

合気術の重要性は普通の柔術の技法に対して、先を取ることでそれまで不可能と思われていたことを実現できるようになっていったのではないでしょうか。

 

例えば合気術で説明されていた、戦う前から勝負がつくというものですが、なかなかそういうことはなさそうに思えます。

 

しかし、将棋なんかでは何手も前から詰みが見えることがあります。お互いの技量が近ければ王手まで行く前に投了されることが実際にあります。

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それを人間でやってみせているというのが一種の「先」を取る感覚だと考えると想像しやすいかも知れません。お互いにある程度の力量でなければ負けたことに気づけないという点でも同様です。

ヤラセ?八百長?触らずに相手を倒す合気道の技術の理屈

 

1989年に岡本正剛が発売したビデオ付き書籍『幻の神技 大東流合気柔術』は本人が利益度外視で出したと言うほど安く販売され、多くの人を大東流や合気道、合気に興味を持ったという話です。

 

正直な話、受けが大袈裟なのでマツリにはまだ岡本先生の凄さがまだわかっていないのですが、通ってる道場でお世話になってる先生の中にも岡本正剛は別格だという方がいるくらいなので、よっぽどのものがあるんだと思います。

 

そもそも、岡本先生がいなかったらマツリは合気道すらやってなかった可能性があるので足を向けて眠れません。

 

というわけで最後に岡本先生の言葉でしめておきます。

 

いろんな方が、合気の語源を気が合うからとか、技がかかっているから合気だとか言いますが、それはみんな正しいと思うのです、それぞれの解釈がありますから。その方々によって表現が違うと思います。

『武田惣角と大東流合気柔術 改訂版』より抜粋

 

そんなわけで大東流合気柔術における合気とは「先」を取る技法の総称というのがマツリの現時点での解釈となります。

すでに勝っている

それでは次回、この合気を巡る冒険の最終目標である植芝盛平の合気でお会いしましょう。

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