合気を巡る冒険:200年前の合気とは「拮抗」のこと

「合気」という言葉がありまして、大東流合気柔術や合気道なんかは名前に「合気」を冠しているほどなのですが、

 

じゃあ「合気」ってなんなの?と聞かれると色んな合気があるせいで話ががややこしくなってきます。

 

合気道をやっていることもあって、そこらへんの整理をしてみたいと思ってはいたのですが、あんまりしっかりした資料がないのでどうしても具体性に欠ける説明になる、と思っていた所に、

 

早稲田大学から学術書として出版された工藤龍太著『近代武道・合気道の形成「合気」の技術と思想』がかなり色んな情報を裏付けしてくれたので、

 

合気道の「合気」とは果たして何なのかを巡って資料に基づいた解釈を行っていきたいと思います。

目次

「合気」の歴史

合気の言い伝え

なぜ拮抗が悪いとされたのか?

「合気」の歴史

そもそも「合気」ってなんなんやねん?ということなのですが、

 

今の「合気」は、もともとあった合気という言葉に色んな意味が付け加えられていった結果、ごちゃごちゃになってわけわからんくなってるような気がします。

nayami

このあたりの謎が工藤龍太著『近代武道・合気道の形成「合気」の技術と思想』によってかなりすっきり整理されたと思います。

 

この本では「合気」という単語が武術史に登場するのがいつからなのかを諸流派の伝書を調べてまとめてくれています。

 

それによりますと、今から2〜300年前の伝書には合気と相気という、ふたつの「あいき」が同じような意味で使われているということがわかります。

 

意味としてはお互いの攻める気がぶつかってしまうといった感じです。

 

いわゆる相討ちになってしまうような状態を指して合気、もしくは相気とされていました。

相打ち

この意味での「あいき」はだいたい150年くらい変わらずに伝わっていたことが、各武術流派の伝書からわかります。

 

そんなわけで、各伝書に伝わる合気がどういうものかをまずは見ていきましょう。

合気の言い伝え

合気/相気の伝書まとめ

1687年 今枝左仲良臺『理方童子教』(理方一流・今枝流理方剣術)

理智合気として理と智をひとつにすることが重要と説く

1698年 田宮次郎右衛門成道『田宮流極意書』(居合術田宮流)

・拍子についての説明で敵の勢いに巻き込まれることを「合気して悪し。」とする

1764年 寺田市右衛門正浄『灯下問答』(起倒流)

相気を力で抑え込まれた部分に意識を向けて居着いてしまった状態としている

1792年 不明『雲平流中通諺解』(雲平流)

兎角合気になれば業にからめられ、業はづしがたしとして合気を否定

1800年 蒨園『剣術秘伝独修行』

相気の先という項目で、合気の先を取る方法を説明

1806年 松平忠専『真々流極意』(柳生流の流れをくむ流派)

相気の離として合気の状態にならないようにする

1806? 松浦清『剣談』(心形刀流甲州派)

相気の仕合、相気の心、相気などの言葉があり、稽古を通して合気を避けることを説明

1822年 中西是助『一刀流兵法韜袍起源』(一刀流中西派)

互いに合気を用いてと竹刀稽古でお互いが勝とうとする膠着状態を戒めている

1833年 石川雄兵衛良繁『柔術扱心流秘書』(扱心流)

合気を離れる事として相手の力に力で対抗することなどを否定

1849年 千葉周作?『北辰一刀流兵法初目録聞書』(北辰一刀流)

・松風之事で合気を戒めたるとして力に力で対抗することなどを戒めている

1852年 寺崎某『天神真揚流柔術大意禄』(天神真揚流)

相気として相手と同じタイミングで攻撃することを指していて内容は否定的

1857年 今枝良温『初実理方兵法技禄』(理方一流)

合気を離るる手段として、膠着状態を脱する技法を説明

1858年 新妻胤継『槍剣事理問答』

合気の争い、名人の合気として、名人は合気しても勝利することができるとされている

工藤龍太『近代武道・合気道の形成「合気」の技術と思想』(2015)からざっくり抜粋

 

というような感じで、最初の理智合気が理と智のふたつをひとつにするという意味なのを除くとだいたいが合気を避けるべきものとしています。

 

武器を使用する武術などでは、お互いが必殺の攻撃を繰り出すタイミングというのは相討ちのタイミング」なので、まさに最悪とされていたのだと思います。

 

さらに柔術などで掴まれた所をどうにかしようと対抗すると膠着状態になってしまうことから、

 

これもまた避けるべき状態であるとして、基本的に合気は好ましくない状態として認知されていたようです。

しかし、中にはこの合気の状態を逆に利用するという流派も少数ですが存在していたようです。

 

このあたりの解釈から、合気というのは拮抗した状態のことであり、

 

悪く言えば膠着状態であり、良く言えばバランスが取れた状態なのだと考えられます。

釣りあい

なぜ拮抗が悪いとされたのか?

さて、古くの伝書において合気の状態はとにかく避けるべきとありますが、何がそんなに悪いのかと言うことを簡単に説明してみたいと思います。

 

個人個人の戦闘として考えるとわかりにくいですが、集団戦闘における戦略として考えるとわかりやすいんじゃないかと思います。

 

例えば同じ人数の兵士が同じ条件の地形でぶつかり合う時、正面衝突して戦うというのがあまりよろしい戦略ではないことはわかってもらえると思います。

 

よほど装備や兵士の訓練、やる気などに差がない限り互角の戦いが繰り広げられることは間違いないでしょう。

 

お互いに体勢が整った状態でぶつかりあえば勝負は簡単には決まらないでしょう。これが膠着状態であり合気した状態です。

 

集団戦闘では挟み撃ちや包囲などの二つ以上の方向からの攻撃が理想とされています。

 

集団戦闘であれば別働隊を出して横や背後から攻めるみたいな話がわかりやすいです。

 

当然のことですが、別動隊の存在がバレていれば止められて終わりです。別動隊の存在を隠すためにはやはり表向きは正面で拮抗している必要があるわけです。

 

目立っている戦場の中心地でしっかりぶつかり合うことで、相手側の意識をそこのみに向けさせる。つまり合気させるということになります。

 

さらに高度になると、フィリッポス二世がカイロネイアの戦いでやったように、一部を拮抗させたまま後退させて、相手の布陣に隙間を作ったりしています

参考:カイロネイアの戦い(Wikipedia)

つまりは拮抗させておいてわざと引くことで、相手に隙をつくったという感じです。

カイロネイア

これが合気を外すといったところでしょうか。

 

こんな感じで、お互いに合気したり、相手に合気させられたり、自分で合気してしまったりすることが悪いとされているわけです。

 

一対一でも同じことです。お互いが気力充分のまま武器でぶつかり合えば勝負の行方はわからなくなります。

 

そこで、正面から攻めると見せかけて本命の攻撃を用意したり、相手の刀を止めて脇差で刺す、みたいなことが必要になってくるわけです。

 

こうした個人レベルの拮抗が前提にあった上で、それをどう対処するのかが大東流で有名になった「合気」なのではないかと考えられます。

 

が、それについては次回、大東流の合気とは何だったのか?で説明していきたいと思います。お楽しみに!

 

とりあえず200年くらい前は無策で正面から合気するのはあり得ないという考えだったということで、

 

合気とは「拮抗」のことだったとマツリ的には解釈しています。

つづきは・・・

合気を巡る冒険:大東流の合気とは何だったのか?

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