武道武術的な歩法のポイント:歩法について適当に考えてみた

歩法

今回は武道の「歩法」について、自分の感覚としてどうなっているかということを書いてみようと思います。

 

が、その分これといって根拠となるデータがあるわけではないので、あくまでひとつの感想くらいに思っておいてもらった方がいいかも知れません。

 

自分が合気道と出会って一番最初に意識したのが歩き方でした。

 

そして歩き方を変えてちょうど5年くらいになるので、そこらへんのことを書いていきたいと思います。

目次

歩き方の感覚

安定とは何なのか?

身についてくる変化

歩き方の感覚

以前にも歩法に関してはいくつか記事を書きましたが、基本的に地面と平行に移動しているような感覚だと書いています。

 

これをもっと厳密に説明にすると、自分の身体の中心となる部分(もしかしたら重心?)を上下左右にブレさせずに移動しているということになります。

 

軸を安定させて動いていると言えるのかも知れません。表現としては重心を移動させるというような感じではなく、自分の中心となる点を安定させたまま移動するという感じでしょうか。

 

なぜそういう風に考えるようになったかと言うと、そうでなくては説明できないことがいくつかあるからです。

 

まず歩き方を武道的に上下せずに歩くように意識していると、だんだん自分の中心となる部分わかるようになります。

 

そして、そこがブレているかどうかがわかるようになってきます。

 

自分の場合は一年くらいして明確にわかるようになってきました。

 

そんな中でふと違和感を感じたのが階段を上ったり下りたりする時のことです。

 

階段に当たり前ですが段差があるので、普通に考えれば身体も上下移動することになります。

 

ですがある時から、階段を上ったり下りたりしていても自分の中心部がブレてないという感覚がでてきました。

 

地面に水平に移動しているということは、坂道なんかをのぼる時でも身体の中心が上下しないということですが、冷静に考えると階段で上下しないというのはおかしいということになります。


坂道階段を水平

図を見てもらうとわかると思いますが、地面と水平(平行)に動いているということは、階段だとどうしてもガタガタするはずなのです。

 

ところが実際に階段をのぼっている時の感覚はこうです。

階段

このあたりの事を踏まえるとただ単純に地面と水平に移動しているというわけではないな、ということがわかってきました。

 

もっと言うと、ステップを踏んでいる状態でも自分の中心がブレているという感覚がありません。

 

要するに武道的な歩法というのは、単に地面と水平に移動しているというよりは、

 

地面の状況や自分の状況に関わらず、中心を安定させられている状態のことなのではないか?というのが現時点での自分の結論です。

安定とは何なのか?

何故こうまで安定が大事なのかという話ですが、理由は2つあります。

 

まず、多くの武道が姿勢を大事にしているということです。

移動要塞

柔道の嘉納治五郎も、競技中に投げられないように腰を引いたりすることを、当身に対応できないとして何度も注意しています。

 

以下の引用はある試合を観戦した後の感想です。

今日も見て居ると、或(あるい)は腰をずっとひいて、手ばかり前の方に出してやって居るのもあった。甚(はなはだ)見苦しい。…一体、相手にむかって、身をかまえるに當(あた)っては、常に、自然体なり、自護体なりの、正しき躰勢(たいせい)をとってかからねばいけぬ。

尤(もっとも)、変化という事は、いうまでもなく必要である。相手の攻撃のしかたに応じ、或(あるい)は、相手を攻撃する必要にしたがって、縦横左右に身をひらき、躰(たい)をかわすという事は、無論、かくべからざる用意ではあるが、自分の体勢をくずさぬという事を忘れてはならぬ 。

工藤龍太『植芝盛平の当身対抗技の技術史的研究:嘉納治五郎が追求した武術としての柔道との関係を中心に』

より抜粋:全体的にマツリによる現代語訳

 

なかなか手厳しいですが、嘉納治五郎が柔道をより武術的な視点で見て、投げられない為の偏った姿勢を否定していることがわかります。

nayami

沖縄空手の代表的な型のひとつであるサンチンなどは、型を行う際に指導者が叩いて安定性をチェックしたりしています。

参考:The Human Body Armor | Sanchin | 人体防具 | Meitetsu Yagi | 剛柔流サンチン|八木明哲先生(YouTube動画)6:49~サンチン(型)に対しての指導

 

姿勢が悪いということは、すぐにブレるということに他なりません。

 

弓道なんかでは姿勢が正しいことは当然ながら重要になります。目標に狙いを定めるうえで安定していないというのは致命的です。

 

また剣道でも、中山博道の直弟子である羽賀準一が姿勢について次のような言葉を残しています。

 先にもちょっとふれましたが、姿勢が悪いと(稽古が)進むどころか、やればやるほど変な癖が出て、ついには踊り以下になってきます。
 それはなぜかと申しますと、姿勢という字は別々に読みますと、姿に勢、と書いてあります。このとおりで、勢いのない姿なんて人形と同じで話になりません。正しい姿勢が保持できるようになりますと、呼吸が正しくなり、自然気合も充実してまいります。

堂本昭彦 『羽賀準一 剣道遺稿集―附伝記・日記』73~74ページ

()内はマツリによる

 

羽賀準一も姿勢については色々とうるさかったらしく、正しい姿勢でなければ正しい呼吸もできないとしており、剣道においての基本と位置付けているようでした。

 

合気道でも開祖が「歩く姿が武である」といった言葉を残しているそうです。

 

こんな感じで多くの武道にとって姿勢の安定というのは、基本だと言えるんじゃないでしょうか。

 

その基本となる稽古こそが「歩く」ことになるとマツリは考えています。

 

そしてもう一つが「武器」の存在です。そもそも武道武術の基本にあるのが武器です。

一撃必殺の哲学:素手のワンパンでは一撃必殺はできない?

刀であっても重さが800~1kgあると言われています。当然ですがそんなものをいきなり持つと自分のバランスは崩れます。

 

刀なんてまだいい方で、長槍なんかはさらに重いしバランスが悪くなります。

 

ですが武道武術の場合「いきなり武器を持ったのでいつも通りの動きができません」ではいけないわけです。

 

武器があるときも無いときも同じように歩いて動くことができる必要があります。

 

例えば剛柔流でも「昔はこういうものを持って型をやっていた」と鉄アレイを持たせて型をやらせたりしています。

参考:The Human Body Armor | Sanchin | 人体防具 | Meitetsu Yagi | 剛柔流サンチン|八木明哲先生(YouTube動画)5:20~サンチン(型)に対しての指導

 

剣道では、中山博道が第二次世界大戦に出征する弟子たちが戦地で相手をうまく斬れなかったり、誤って自分を斬ってしまうというケースを受けて、

 

「剣道の修業者が刀を振って自分で自分の刀に切られ、刀を棒に代えて使用したのでは、全く暗然たらざるを得ない。竹刀で練習充分だから日本刀も同様だと考える多くの人に対する警告の実例」と語っています。

参考:中山博道(Wikipedia)

参考:堂本昭彦『新装版 中山博道剣道口述集』

 

昔の人はよく竹刀稽古を問題視していましたが、その原因のひとつには根本的な武器を持って歩くという部分が崩れてしまうという点があったのかも知れません。

 

つまり、武道武術での歩法というのは、重い武器を持っているいないに関わらず安定して動ける歩き方だということでもあるわけです。

 

まあ、自分はあんまり武器もって歩いた経験ないんで偉そうなことは言えませんけどね☆

身についてくる変化

このような感じで自分が安定して歩けるようになってくると、他人の歩き方を見て色々と感じることがあります。

 

パッと見て「この人は足が悪いんだな」とか「左右のバランスがズレてるな」といったことがわかったりします。

 

車を運転していて、前の車が曲がろうとしていることがウィンカーを出される前からわかったりもします。

 

これは大層な能力かというとそうではなく、ただ単に自分が安定して移動しているので他の物のバランスの移動に敏感になったという程度のことだと思います。

 

一般生活の役に立つかどうかでいうと、ないよりあった方がいいというくらいでしかありません。

 

ただ、武道武術においてはもう少し有用です。

 

例えば合気道では膝行という、座った状態で膝を使って移動する動作があります。

 

こういう普段は絶対にしないような動きをしたときに、自分が安定しているかどうかがわかると、正しく動けているかどうかのひとつの基準ができます。

 

この「正しさ」に対する基準が自分の中にあるというのはかなり大事なことだと思います。

?

武道武術に熟練している人は、銃の射撃がうまいという話しを聞くことがあります。

 

もちろんそれは安定して移動できるからというだけでうまくなるわけではありませんが、

 

持ったことのない武器や、やったことのない動作をした時にその正誤がわかるというのは、その後の上達においてはかなり重要な要素です。

 

これは対人においても同じことです。型稽古や試合において、自分が意図しない不安定な動きをしたということは、焦っていたり無駄な力を使っていたということになります。

 

あるいは後で自分の稽古の動画を見ている時なんかでも、そういったことが気になったり反省点として出て来ることがあります。

 

なので、歩法ではありますが、それを稽古することで身につくのは「目」だったり「動作」だったり、ある種の「勘」だったりします。

 

現時点で歩法を稽古した結果、自分が感じていることはこんな感じです。

 

これは不思議なもんで、ちゃんとやっとけば良かったと後悔することはおそらくまずありません。

悔しい

正しく歩くというのは自分の中の微妙な感覚を研ぎ澄ますような感じなので、実はあってもなくても問題ないっちゃあないのです。

 

ただ、やってて良かったと思うことは後になって色々と出てきます。やっぱ基本って疎かにされやすいものだと思いますが、しっかりやっておくと良い物でもあります。

 

そして、この稽古はなんといってもいつでも出来るということが最大の強みです。やったもん勝ちです。

 

まぁ冬に草履を履いてたり変な歩き方をしていると、他人から白い目で見られることはありますが・・・。

関連記事

これまでの歩法の記事はコチラ

武道はなぜ歩き方が基本なのか?:歩くだけで健康になる人間のメカニズム

草履で歩くだけ!?武道の歩き方・歩法の方法

武器と武道武術の関係についてはコチラ

一撃必殺の哲学:素手のワンパンでは一撃必殺はできない?

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です