しょぼい稽古:ドアから人生を変えろ!

lifekeiko

かの剣豪、宮本武蔵は言いました千日の稽古を「鍛」とし、万日の稽古を「錬」とする。そう「鍛錬」とは万を超える日数稽古してはじめてなりたつのです。
わたしは宮本武蔵に敬意を表しつつ、この言葉を贈りたい。できるわけねーだろ。

 

だいたい万日って27年半くらいなので、宮本武蔵(享年62歳)の時代でいったらほぼ半生です。半生ってあんた、そんなの武蔵さんしか言えないじゃないですかぁ。

 

ましてや現代において武道の稽古なんてラジオ体操よりできませんよ普通は。忙しいもんは忙しいし、コロナウイルス騒動のようにどーしても道場に行けないことだってあるのです。武蔵的な「鍛錬」の完遂なんて夢のまた夢。

 

だがしかし、それでも毎日稽古をすることを諦めるのはまだ早いです。当ブログのテーマのひとつは「日常の稽古化」です。稽古とは過去を考え今を照らすこと、昨日よりも一歩前進することです。例え半紙一枚程度の積み重ねでも、それこそ一万枚重なれば相当なモンです。

 

などと大げさに書いたもののその内容はしょぼいの一言に尽きるでしょう。しかし、現代においては万日の鍛錬を成すことなんてのは、よほど頭のイカれたセレブでない限りは、このしょぼい日常の稽古によってしか成し遂げられないでしょう。

 

さぁそのしょぼさに驚くがいい!そして共に生涯稽古をしようじゃありませんか!

しょぼい稽古 ~ドアの開閉編~

door

みなさん、毎日いくつのドアを開けますか? 平均的な日本の物件には少なくともリビング、玄関、トイレにドアがあり、出入りで6回は開け閉めをします。
外出すればその回数はさらに増えることでしょう。

 

さて、そんな時にまさかとは思いますが、腕を曲げ伸ばししたり、腕の力だけで開け閉めをしていないでしょうか?

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武道武術において全身の力を常に活用することは非常に大切なことです。普段のドアを開けたり閉めたりする時に、無意識で腕の力に頼っているそこのアナタ!

 

それはつまりとっさに全身の力を使うことができないってことじゃないですか?

 

ダンベルカールとウエイトリフティングで考えて貰えば簡単です。ダンベルを片手で40キロも持ち上げたらもう立派な化け物です。しかしウエイトリフティングなら40キロというのはまだまだ現実的な数字です。言ってしまえばこれが腕の力と全身の力の差です。

持つ

腕の力は残念ながらとても脆弱です。あなたのその力こぶでは世界平和なんて守れません。我々のような一般ピーポーは日常において20キロくらいのものを持つことすら稀です。それも片腕で持ち上げたりなど絶対にしません。

無理太郎

例えば誰かを引っ張る時に、腕力だけで引っ張るのと全身の体重をかけて引っ張るのであればどちらがより重い物を引っ張れるかは明白です。

 

押す時だってそうです。腕力だけで押すよりか体重をかけて押した方が楽ちん。腕力なんて使ったらだるいし疲れるし翌日は筋肉痛です。年齢によってはさらにその次の日に筋肉痛に襲われることすらあるでしょう。

 

毎日重い物を押したり、ドアがクソ重ければこうした体使いは自然と身に就くことでしょう。しかし残念ながらドアはまさしく羽根のように軽いものです。

 

ドアノブさえひねれば蝶番(ちょうつがい)という人類が生み出した叡智の羽根がドアを支えているため、我々はそれを開けるのに大きな力などまっっっっっっっっっったく必要ありません。しかし、その日々の積み重ねがあなたの癖になっています。

 

腕力だけで扉を開くというのはそういうことです。そんな生半可な押し方で、果たしていざという時に全身の力を使うことができるでしょうか? そう全力とはあなたの全身の力で持って事に当たるということです。

bakapower

ドアにすら全力を出すことができない人間が、人に対して、あるいは他の物事に対して全力で当たることなのできるのでしょうか? 

 

もちろん現代において全力なんて出す必要がありません。わたしたちが全力を出す瞬間などまず来ないでしょう。心配は徒労に終わります。全力なんて出す必要のない無駄な行いと言えるかも知れません。

すでに勝っている

だがしかし!全力を出せるのと出せないのとでは話は全く違うということも忘れてはいけません。そこには大いなる隔たりが存在しています。

 

全力を出す準備をしてドアを開けるのと、ただただ何も考えずに腕力で開けることの何が違うかといえばそれは段取りに他なりません。何も実際にドアを開け閉めするときに全力でやる必要はありません。ドアがぶっ壊れますよ。

 

ただどういう状態が自分の全力で、どうすれば調整ができるのか? つまり自分を知ることは重要です。全力を出せる体勢をつくっておいて、自由に調節すればいいのです。それこそが本当の自由なのです!

 

プレゼンをする時になんの準備もしなくていいのはすべてが頭の中に入っている人だけです。いつ何時であろうとも、準備が整っているかどうか、その違いが重要なのです。

 

常に準備が出来ている状態になるのです。獅子は兎を狩る時も全力だと言います。何故か? 全力を出さないということは油断です。身体の緩みであり、気のゆるみでしかありません。

そう、たかがドア、されどドア。ドアを押す時、腕を伸ばして体の力で押すことが日々できていれば、常にそうして動くことができるでしょう。もっと重い物や人間を押すときであっても体の力で押すことができるはずです。

 

ドアを引くときも同様です。自分の体重を利用して引けるように常にそのような体重移動を心がけるべきなのです。

 

だからこのしょぼい稽古は今からすぐに!誰でも!簡単に!やることができます。変えるのは考え方とドアの開閉方法だけなのです。この動作こそが、武道で活きる動きです。起こるはずのない不測の事態が起きた時のための動きです。保険です。ほとんどコストのかからない保険なのです。

 

さぁわたしと共にしょぼい稽古をはじめましょう。そしてドアを開けましょう。あなたが毎日開けるドアは未来へとつながる稽古のドアでもあるのです。自分でもなんだかカルトな宗教を勧めているような気分になってきた……。でもいいじゃん、ドアの開け閉めくらい!

おまえは何を言ってるんだ

こちとら、そこらへんの情報商材なんかとはワケが違います!完全無料です。1万円はらってよくわからん情報を買ったり会社を辞めて起業したりするくらいなら、ドアを開けろ! 今からそしてこれからも永遠にドアが存在する限りこれは無料! こんなオイシイ話ある?

 

全力なんて出さないにこしたことはありません。ですが、出せなくなっていては話になりません。文明に飼いならされてはならないのです。我々はただの家畜ではない。牙を持っているのです。それを錆びつかせるかどうかは自分次第に他なりません。

 

そしてその牙を研ぐためのドアは毎日あなたの前にあります。さあ万感の想いを込めてドアを開けましょう。ドアひとつに全力で当たることができれば、一を以って万に当たることもできます。まずはドアから始めるべきなのです。

 

今日もドアはあなたの前にあるでしょう。それをただ開けるか、全力の構えで開けるか、それが稽古の分かれ目です。こんな簡単なことをやらないバカがいるのか?

 

笑いたければ笑うがいい、だが一日一日ドアを開けるごとに進歩する人生と、ただつまらない会社へ向かう為にドアを開ける人生、一体どちらが幸せだと思いますか? 世界は変わらないし、変えることなどできません。しかし、自分は変えられます。

たった一枚のドアに対する姿勢だけであなたは確実に変わります。あなたが千のドアを開け、万のドアをくぐり抜けた時、一枚目のドアを開けた時とはまったく違った自分になっていることに気づくでしょう。

 

そう、我々はただドアを開けるのがうまくなるわけではない、ドアが人生に意味をもたらしてくれるのだ。我々の人生は無意味ではない。ドアを開けることにすら意味があるんだから、意味のある世界を自らつくりあげることができるのだ。

 

さぁドアをその手で開けよう!今日も開けて、そして一日の最後にドアを閉めて眠りにつく時に今日くぐったドアの数を数えよう。ドアの数だけ稽古をしよう。ドアの数だけ成長しようじゃないか!修羅場はくぐらなくてもドアはいくでもくぐれるんだ!

 

うおおおお!ドア最高!!ドア万歳!!自動ドアの電源を落とせ!!どこでもドアを発明しろ!!!そして自分の背後に続くドアを出して無限にドアを開け続けよう!行け!どこまでもドアを抜けて進め!万どころか億のドアを越えて武蔵の鼻を明かしてやろうじゃねぇか。

 

ドアアアアアアアアアアア!!!!!!!

 

 

おわり

出口

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