絶対に予言を的中させる方法:合気道マニアのためだけの出口王仁三郎に関する考察
今回は合気道が成立するうえで重要な役割を果たした宗教団体である大本教の中心人物、
日本における宗教界の怪物、出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)について、ちょっと他とは違った切り口で考えてみたいと思います。
大本教というのは合気道の開祖が入信していた宗教でして、開祖の思想には大本教の出口王仁三郎の影響がかな~り見受けられます。
そんな人物について頭の体操みたいな感じで、こんな解釈もあるかなーと思ってもらえたらいいなぁという程度の考察をしてみました。
合気道やってる人でも出口王仁三郎を知ってるって人は少ないと思いますんで、恐ろしくドマイナーな話題です。
目次
・前提として王仁三郎は超賢い
・絶対予言的中システム
・出口王仁三郎は詐欺師だったのか?
前提として王仁三郎は超賢い
さて、一般の人にとってはとんでもなくマイナーな人物だとは思いますが、出口王仁三郎という人について個人的な考察を提供してみたいと思います。
彼は「宗教的カリスマ」であり多くの人から「ある種の天才」と呼ばれ「怪物」「最もはやい時期のコスプレイヤー」「道化」「トリックスター」など色んなことを言われていますが、
少なくとも相当頭が良かったのだと思います。
13歳のころに小学校の教師の間違いを指摘して、その教師と喧嘩になって学校を退学、そのあとその教師の代わりに代理教師として就職してしまったなんてエピソードがあります。
普通ならこういった話は宗教の教祖を神格化するための大げさな話でしかありませんが、彼の場合はその後の人生が波瀾万丈すぎてあながち嘘とも言い切れないのが面白いところです。
ちなみに『決定版 植芝盛平と合気道〈1〉: 開祖を語る直弟子たち 』で塩田剛三はインタビューで出口王仁三郎について、
「信者の中には地質学者もいたので、その人に竹田の温泉の出る場所をみなチェックさせておいて、王仁三郎はそこに杖をつき、「ここを掘ると温泉が出るぞよ~」とやるわけです。そこでみんなが掘ると、温泉が出るわけです(笑)
決定版 植芝盛平と合気道〈1〉: 開祖を語る直弟子たちより抜粋
と証言しています。(1)
これは単に王仁三郎が詐欺師だったという話ととらえることもできますが、ある意味では科学的に物事を考えていたという証拠でもあります。
そもそも出口王仁三郎は大本教という宗教団体とはなんの関係もない人物でした。
しかしある時、突然大本教に自分を売り込みに行きます。
小さな宗教組織にいきなり教祖級の人間がやってきたらどうなるかは火を見るより明らかというやつです。
王仁三郎は大本教の教祖である出口なおの予言により邪神と認定され、ほとんどの会員から嫌われて暗殺未遂までされます。
ところが数年後、王仁三郎は今度は出口なおに救世主とされて、大本教の運営を任されます。
このとんでもない大転換ができてしまうのが、出口王仁三郎なのです。
このエピソードひとつとってもマトモな人間にはとうていマネできないことです。
中でも注目したいのは、大本教を有名にした予言についてです。
出口王仁三郎と出口なおは数々の予言を的中させたことで大本教を一躍有名にしました。
出口王仁三郎と出口なおが的中させた数々の予言については、現代でも残っています。
なぜこんなに予言が的中したのでしょう。彼らは本当に予言者だったんでしょうか?
絶対予言的中システム
このことについて、超能力がなくても予知や予言をするテクニックを研究したイアン・ローランドの著書『コールド・リーディング一瞬で人の心をつかむテクニック』から考えたいと思います。(2)
この本には当たる予言のやり方というのが載っています。
予言を当てるコツは「なんでもいいから予言しまくること」です。
何故なら、人は外れた予言のことなんて覚えていないからです。
だからメディアなどでは当たって驚かれるような予言をすれば、当たった時のインパクトがデカいのです。
そして、外れた予言は忘れ去られるだけなのです。だからどっちが当たってもいいように両方予言しておいてもいいとまで言われています。
こういうのは紙媒体の記録しか残せなかったような時代での威力は絶大だったことでしょう。
そしてなんと王仁三郎は自らのメディアを持っていました。これはもう鬼に金棒ってやつですね。はっきりいって無敵です。
自分のメディアから予言を発表し放題だった上に、当たった予言は記録に残しておいて外れたものは捨ててしまえばいいわけです。
ですが、予言が当たる理由はこれだけではありません。
出口王仁三郎のキャラ付けも予言に一役買っています。彼はたびたび言葉遊びを用いてダジャレのような感じで予言をしていました。
冗談なのか本気なのか全然わからないようなことばかり言っていたという証言も残されています。
これも予言が当たらなかった時はくだらないダジャレ、当たった時は「まさかあのダジャレにはあんな真意があったのか!?」ということになるわけです。
つまり外れた時の印象は限りなく薄く、当たった時のインパクトはデカいのです。
たまたま当たった予言を聴いた人は「実はあの話をしてた時、おれは横にいたんだよ」と言いたくなるし、外れた時はただダジャレなので気にもとめないでしょう。
ちなみに植芝盛平は父親である与六が危篤状態になった時に、帰りがけにたまたま京都で立ち寄って王仁三郎から父の状態を聞きます。
真偽は定かではないのですが、その時、王仁三郎は「病気は治る!」と言ったのだそうです。
結果的に盛平の父は息を引き取るのですが、後に植芝盛平が言うには「死んだということは、病気は治ったということ」なのだそうです。
そんな話あるか?と思いますが、王仁三郎ならそれくらいのことはやってのけそうな気がします。結局どちらに転んでも予言は当たるのです。
さらに輪をかけて凄いのは、こうした予言と神道系宗教の相性の良さです。
ちょっと宗教的な話をしますが、出口王仁三郎と出口なおはそれぞれ相反する神がついているとされました。
出口なおには天照大神(あまてらすおおみかみ)火や男性を象徴する神です。
出口王仁三郎はスサノオで水や女性を象徴する神です。
男の王仁三郎に女の神、女のなおに男の神、つまり入れ子構造みたいな感じになっているわけです。
神道には対になる神が用意されていたり、反対の意味を持つ神がいます。
つまり一方の神の名前が出たら、反対の対になる神の方も関係していると考えられるわけです。
これは、予言で神様の名前をひとつ出せば、その真逆の解釈もできてしまうということです。
さらにさらに大本教の予言は出口なおの「お筆先」という神がかりによる自動筆記で行われ、ひらがなとカタカナで書かれていました。
出口王仁三郎はひらがな五十二音に宿っている真の意味とされる「言霊」ついて研究していたことから、お筆先の意味を解明する役を担います。
出口なおの筆記と、出口王仁三郎の解釈で予言が構成されています。
ひらがなの予言に漢字をあてて解説を加えるのが王仁三郎の役割でした。
つまりこれも入れ子構造。
また、言霊というのは陰と陽で解釈が変わるので、言葉の意味を180°変えることができます。
出口王仁三郎の解釈が間違っていても、筆記は当たっていたとすることもできますし、筆記が間違っていても言霊の解釈の仕方で当たりにできるのです。
結局予言と言うのは何かが起きてから当たったかどうかが判明するものです。
つまり、筆先はこう解釈できるし、言霊的にはこういう意味があるし、神道の神が出てきたら対になるこの神が関係していると説明できるわけです。
これはもう当たらないわけがないほど二重三重に張り巡らされた予言システムです。
出口王仁三郎は詐欺師だったのか?
出口王仁三郎はこの世の終末である立て替え立て直し(破壊と創造)を予言していましたが、時期は決して口にしなかったそうです。
明言を避けて、ひたすら解釈を行うのは人の心を読んだり、予言を当てたりするテクニックの基本中の基本です。
ちなみに余談ですが予言が当たるというのは、昔は「中る(あたる)」と書いたそうです。
弓道などの的に命中する、的中するという意味と同じなのだそうです。
この「中る(あたる)」というのは、真ん中のことです。予言なら何事も真ん中にしておけば当たるっていうのはちょっと面白いですね。
つまり出口王仁三郎が大本教で構築したのは、恐ろしいほど外れない予言のシステムだったのです。
彼は雪山のどこで叫べば雪崩が起きるのかを知っている人だったと言えるでしょう。
予言を当てることで信者を増やし勢いを増すことは得意中の得意だったのですが、一度起こってしまった雪崩に関してはコントロールできない。
そのあたりが大本教が二度に渡って政府に弾圧されてしまった原因とも考えられます。
さて、この出口王仁三郎ですが数多くの宗教家や武道家に影響を与えたことでも知られています。
大本教は宗教のおおもとというダジャレがあるほどです。
「生長の家」の谷口雅春、「日本心霊科学協会」の浅野和三郎、「世界救世教」の岡田茂吉などは大本教と直接かかわった後、自身の宗教を興しています。
武道家では植芝盛平が「合気道」、盛平の親族だった井上鑑昭は「親英体道」を生みました。また大本教は今でも独自の武道団体を持っています。
ちょっと考えてみて欲しいのですが、ある宗教に入信していた人が新たに宗教あるいは武道を興すことって果たしてどれだけあるでしょう?
植芝盛平は宗教にハマって弱くなった/おかしくなった、みたいな説を唱える人がいますが、
大本教の思想というのは、このブログでよく引き合いに出している陰陽の思想です。
これはこの世の色んな物事に当てはめることができます。
出口王仁三郎のトリックを近くで見ていた人たちは、逆にこの思想がなんにでも当てはめられるということに気づいたのではないでしょうか?
それはある意味では、まさしく神の御業の体現だったのではないかと思います。
予言が当たり前のように当たるということは、それだけの理屈があるということです。それはこの世の理屈をきちんと理解しているということです。
変わった宗教を信じている人の中には物理法則や物理的な常識を無視する人がいますが、物理法則こそが神によってつくられた絶対の法則と言えます。
それを信じてないってのは、神を信じてないようなもんじゃあないでしょうか?
出口王仁三郎は自分がつくったシステムで現実を押し通す力を示したという意味ではもの凄く偉大だったと思います。
この妄想が正しかったならという話ではありますが・・・。
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参考文献
(1)決定版 植芝盛平と合気道〈1〉: 開祖を語る直弟子たち