一撃必殺の哲学:素手のワンパンでは一撃必殺はできない?

ichigeki

「一撃必殺」というとド派手な攻撃や演出を想像するのが今のマンガやアニメ、格闘技やプロレスなどでは主流ではないでしょうか?

 

ただ実際に一撃必殺といったら、それは一撃で命を奪うことであり、武道武術においては本来は初歩だったはずの技術です。

 

じゃあ現代における一撃必殺のイメージと武道武術の一撃必殺にはどんな違いがあるのか?今回はそんなところについて考えてみました。

目次     

1.素手の一撃必殺は困難
2.何故突きを稽古するのか?
3.「一撃必殺」は当たり前

1.素手の一撃必殺は困難

まず最初にパンチ一発で人を殺せるという秘術がある、みたいな噂を聞くことがありますが、この手の話には疑問があります。

 

というのも、素手の突き一発で人を殺すのは難しいことであり、さらに言うならば、素手の一撃で人を殺せる必要性が全然ないからです。

broken

現代において行われる殺人のほとんどは凶器が使われています。そして、その準備も非常に簡単です。

 

銃器が少ない日本でもゴルフクラブやバット、身近にあった石など、どれも素手とは比べ物にならないほどの殺傷能力があります。

 

力士だってカラオケのリモコンで殴ってましたよね?

 

加えて、人を素手で本当にどうしても殺したい場合は、殴るよりも絞める方が簡単です。

 

2018年に元自衛官が起こした事件では5人もの人が「絞殺」されています。

参考:元自衛官が”素手”で5人殺害

 

当たり前の話、首を絞め続けたら人は死ぬのであり、殴るよりも確実なのです。

 

もちろん中には殴られて死ぬ人もいますが、この場合も一発ではなく何発も殴られているケースがほとんどです。

参考:男女を殺人容疑で再逮捕

 

数十分、数時間にわたって暴行を受け続けたらそりゃあ死にますよね。

 

また、一発の場合であっても、殴られた勢いで倒れてどっかに頭を強打して死亡なんてことはあるようです。崖から突き落とすのだって一撃必殺ではあります。

 

落とすと言うと柔道なんかでは受身に失敗して頭や首にダメージを負って死亡するケースが問題になったりしています。これも意図的にやれば一撃必殺になり得ます。

参考:学校柔道 121件目の死亡事故 中上級者の頚部事故に向き合う

 

逆に殺すつもりもなく、押さえつけただけでも人は死ぬことがあります。

参考:警官殴った疑いの男死亡 2人で押さえつけた直後に急変

参考:警官5人が押さえつけた男性が死亡 職務質問中に暴れる

 

これは体を圧迫することで酸素や血液が脳に行かなくなり、高次機能障害などの障害が発生するのが原因みたいです。

 

このたぐいの話で行くと、子供の間で流行して問題になったりもした「失神ゲーム」も圧迫による気絶に該当します。

参考:失神ゲーム(Wikipedia)

 

具体的なやり方の説明はここでは控えときますが、過呼吸のような状態にして脳に酸素が足りていると思わせた状態で、一気に頭の血流を低下させつつ圧迫する、

 

みたいなことをやると、人間は意外にアッサリ失神するようです。そして一歩間違えたら死にます。

 

皮肉な話なんですが、殺すつもりがなくても遊んでて殺しちゃうことがあるんですよね。

 

こんな感じで打撃で人が死ぬことはかなり少ないのですが、そんな稀なケースとして心臓震盪(しんぞう しんとう)という現象があることも確認されています。

sinzousintou

これは骨が未発達な子供に起こりやすい症状で、胸になんらかの衝撃を受けた時にごく稀に起こり、適切な処置をしないと心肺停止により死亡します。

 

空手の試合でも心臓震盪が発生してしまった事例があります。

参考:空手の試合中に心肺停止をきたし自動体外式除細動器を用いた心肺停止蘇生により究明された心臓震盪の14歳男児例

 

つまりこうした現象を意図的に起こせれば一撃必殺は成り立つんですが、まあ話はそう簡単じゃありません。

 

心臓震盪を起こすには、心電図なんかで見られる大きな心拍の後に起こるちょっぴりした心拍(T波)の拍動が、頂点に達する直前0.023秒ほどのわずかなタイミングにちょうどいい衝撃を与えなくてはいけません。

参考:心臓震盪ーフィリップス(PDF)

 

仮に相手の心臓の動きをモニタリングしていたとしても0.023秒間という絶妙すぎるタイミングに適切な威力の突きを入れるなんてことは、かなり無理があります。

 

こうした現象が起こるということは1999年にタフツ大学などの研究によって明らかにされるまでは謎の突然死扱いでした。それくらい偶然によってしか起こらない現象だったということです。

 

てなわけで、素手で殴るってのは暴力的な反面、実は一撃で殺害してしまうリスクはわりと低くなります。

 

とはいえ殴り続けたり、殴った反動で地面に頭を強打すれば死ぬので、ダメなことに変わりはないんですけどね。

 

ですが、それよりも絞めたり圧迫したり投げたりする方が遥かに危険なのです。

 

つまり一般的にイメージされる一撃必殺パンチというのは、不可能に近い技だと言えるのではないでしょうか?

2.何故突きを稽古するのか?

じゃあなんで空手なんかは人を殺せもしない素手の突きで一撃必殺とか言ってんの?という話になりますよね。

 

ですが、これは素手で考えた場合に限ります。

 

もし武器を持っていたら話は変わってきます。顔面や胴体にしっかりと刃物を刺しこまれたらひとたまりもありません。

 

何事にも訓練は必要です。拳銃であってもちゃんと狙いをつけて当てられなければ意味がありません。

gun

空手などで稽古される一撃必殺の突きとは武器による刺突のことだと言えます。

 

つまり本来は何らかの武器を突き込むのが「突き」だったのではないかということです。

 

刃物の種類にもよりますが、おそらく武器を使う経験のない人がいきなりナイフを相手に突き刺そうとしてもなかなか一撃でしっかりと刺しこむことは難しいでしょう。

 

刃物を振ったり、突いたりして一撃で人を殺めるにはある程度の訓練が必要です。そしてそれが武道武術が稽古していた技術だったはずです。

 

そもそも先に書いたように、素手の突きというのは人を殺傷するという面ではあまり合理的なやり方ではありません。

 

空手と言えば突きですが、古流の沖縄空手には拳の延長として使えるサイやトンファー、棒といった武器術が伝わっています。

参考:琉球古武術(Wikipedia)

 

じゃあなんで素手で稽古するの?という話ですが、これは単純に武器を使う稽古が危険だからです。

 

武器稽古は危険度がかなり高くなります。さらに野外でやっていたら通報されかねません。

 

剣道が真剣や木刀での稽古から竹刀へと切り替えたように、空手も危険を排除するために素手に切り替えていたとしても不思議ではありません。

 

また昔の空手に蹴りがなかったというのも、武器を携行していることが前提だと考えると辻褄が合います。

 

素手同士の戦いなら蹴りは有効な手段になり得ますが、お互いが武器を持って戦う時にはそういうわけにはいきません。

 

少なくとも蹴りが前提の戦い方にはならないはずです。

arasoi

柔道や剣道などの競技における「一本」が必殺であるのと同じように、空手の突きによる「一本」も武器を突き刺す為の稽古だったのではないでしょうか?

3.「一撃必殺」は当たり前

人を殺す場合に最も効率がいいのは武器を使うことです。

 

特に刀や槍といった武器なら、一撃必殺こそが主目的になっています。

 

剣道や剣術は一撃で必殺する技術が大前提なので、一撃必殺は当たり前なのではないでしょうか?

 

柔道でも絞め続けたり、危険な投げ方をすれば相手を殺せるという意味で必殺だと言えるでしょう。

 

合気道、少林寺拳法などにみられる固め技なども、一度相手を動けなくしてしまえば好き放題に攻撃できるという意味では必殺ではあります。

 

このように武道武術に必殺は当たり前のように附属している要素です。

 

ただ実際に殺してしまうわけにはいかないので、キリの良い所でやめたり、竹刀など安全なものを使って必殺の「形」だけを示すわけです。

 

その安全の為につくられた稽古が現代では主流なので多くの人に、武道武術も素手がメインだと思われているのではないでしょうか?

 

その辺りが格闘技と混同される原因でもあります。稽古で武器を使っていないというのは、武器を使わないということではないのです。

 

だからこそ日本の武道武術における一撃必殺とは素手ではなく武器のことだと私は考えています。

 

もちろん大人と子供ほどの差があったり、相手が無防備に何もしていないなどの条件があれば素手の打撃でも一撃必殺できないことはないかも知れませんが、

 

そんな限定条件の一撃必殺が日本の武道武術の前提とはならないでしょう。

 

また、格闘技などで一発KOの評価が高いのは、簡単ではないからです。毎試合秒殺一発KOで勝つ選手はいません。

 

反対に武道や武術の即一本というのは、希少価値で言えばそれほど高くはないと思います。

 

難しくないとは言いませんが、一発KOよりかは遥かに多く起こっています。

 

「一本」とは一撃必殺を安全な形で示しているのであり、それは一発KOよりも遥かに簡単なことなのです。

 

誤解を恐れずに言うならば、素手の稽古とは相手を簡単に殺す方法を安全に稽古しているということになります。

 

このように素手では難しくても何か使えば簡単なことというのは数多くあります。

 

例えば心臓震盪が起こった時、AEDがどこに置いてあるか?どうやって使えばいいのか?といったことを知っているだけで簡単に人の命を救える可能性があります。

参考【AEDの重要性について】:堀江貴文著 健康の結論(Amazon)

 

その練習をする時に、実際に心臓震盪で死にかけている人がいる必要はないので、モノや相手を使って形を稽古するわけです。

 

武道武術の形稽古というのは、そういった意味で非常に合理的なやり方を示しているのだと思います。

hakairyoku

難しく考えるのではなく、簡単な方法を考える。実際にやるのではなく、形を考える。

 

武道武術は殺傷方法を実際にやらかすことなく稽古できるようになっているというわけです。

 

ただ形だけの稽古の問題点は「AEDで心臓に電気ショックを与える為の稽古だったのに、胃に電気ショックを与えてた」みたいなことが起こる可能性があることです。

omg

そんなわけで本来の意味するところを見失わないように稽古していくのがとても大事なことだと思います。

 

多くの武道武術の先人たちが武道とスポーツは違うという言葉を残しています。その意味するところは色々あるとは思いますが、

 

こういった武器や一撃必殺といった面から見ても、やはりスポーツとはまた違った趣があるんじゃないでしょうか。

 

そして大事なことですが、実際に本物の武器を使ってやらないのは、人を一撃必殺することが現代の武道武術の目的ではないからだと思います。

 

というわけで、武道武術なら素手と一撃必殺にとらわれすぎないように気をつけようぜというお話でした。

関連記事

試合とは何なのか?武道と格闘技を試合から考えてみる

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です