合気道で贈与を考えてみた:贈与とは循環による生み出し

与える

贈与が大事、みたいな話は昔っからありますが、一口に贈与といったって色々あるわけで、神に生け贄を捧げるのだって贈与だし、人に貸しをつくるのだって贈与です。

 

贈与なんてのは人の歴史そのものといったって別に言い過ぎじゃあないでしょう。

 

広い目で考えれば色んな贈与があるってことで、単純化して考えてみりゃ合気道にだって贈与はあるわけです。そして贈与は合気道の基本でもあります。

 

そんだけ贈与は大事なわけで、贈与ってのは一体どういうもんで、どう対処するべきなのか? そのあたりのことを合気道的な視点もいれつつ適当に考えてみました。

目次

1.贈与とは何なのか?

2.合気道の贈与とは?

3.贈与とは何か?

贈与とは何なのか?

心理学者アダム・グラントの著書『GIVE&TAKE』では、この贈与について与える人と奪う人、そして公平に配分する人を対比してどのような違いがあるかが語られています。

 

基本的に与える人が行った成功事例を集めていて、与えることでどんなメリットがあるかということが紹介されてるんですが、

 

経済的に大きな成功をする人は与える人である反面、大きな失敗をする人も与える人であり、奪う人から搾取されないように時には公平に分配することが大事だよって感じの内容です。

 

時間も金も人間関係もすべて贈与だと言えるので、自分が与えすぎて消耗すると元も子もない、そんな感じです。

参考:アダム・グラント著『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』

 

承諾を引き出すテクニックを研究した本『影響力の武器』では、「返報性の法則」という項目で贈与によって人を操る方法が出てきます。ほとんどの人は相手から何かをもらっちゃうとその後のお願いを断りにくくなるんだそうです。

 

世の中に無料のお試し品とか、今なら一個買うと一個無料みたいなものが存在してるのは、そんだけ貰ったから買ってあげなくちゃ、みたいなことを考える人がいるってことであり、贈り物にはやはりパワーが宿ってるってことです。

力

さらにこの人間の習性を利用したものがいわゆる「ドアインザフェイス」というやつで、「拒否されたら譲歩法」とも呼ばれてます。「1万貸してくれ」「無理」「じゃあ500円」「しょーがねーなぁ」ってやつです。

 

これも何か貰ったらお返ししなきゃという人間の本能を刺激してるんですな。譲歩されると、人はなんと「譲歩して貰った」と思ってしまうのです。だから何も贈与してないのにお返しを求められるという恐ろしい技なのです。錬金術かよ。

 

とにかくまずドでかい要求をして、断られたら譲歩するってことを繰り返すと、相手は断れば断るほど、次はこの借りを返さねばという使命感にかられてしまうわけです。

参考:ロバート・チャルディーニ著『影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか』

 

さらに行動経済学の研究者が書いた『予想通りに不合理』では、道行く人に「ちょっとこのソファを運ぶのを手伝ってくれません?」って尋ねるという実験をして、

 

このときに小銭を渡す場合と何も渡さない場合、実は何も渡さない時のほうが手伝ってもらえるってことを証明しました。

 

なんでこんなことになるかっていうと、人はお願いされた時は助け合いの気持ちで動くけど、最初から報酬の話が出ると「この労働の適切な対価はおれにはこんくらい」という経済的な判断が先に来て、金額でやる気が左右されるのです。

参考:ダン・アリエリー『予想通りに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』

 

無償で手伝ったのに「コレお礼だよ」とかいって150円渡されると「おれの親切はこんな価値だったのか!」ってことが明らかになるのでイラっとする、みたいなことも同じで「金額」を感じてしまうと親切が踏みにじられちまうのでしょう

 

ニートが親から食費や生活費を要求されると、関係がギクシャクするのも同じような感じでしょう。そして金を払ってる場合、クレームをつける人間は増えます。「こっちは金払ってんだぞ」って感じで謎のマウントが発生するわけです。

 

オリンピックボランティアが死ぬほど過酷なのに宿すら提供されないってことで炎上したのも、経済的な面に目を向けさせてしまったことが敗因っぽいですね。

 

ボランティアにしかできない体験とかにフォーカスさせれば、また違った結果になったかも知れません。まぁオリンピック自体が消えそうなのでどうでもいい話ですが。

 

こいつは贈与するときの人の基準について面白い視点を与えてくれます。ビジネスでは単純な贈与が発生しにくいのは金の事を考えるからかも知れません。事実、金のことを考えただけで人の知能は下がるみたいな研究もあります。金という一点で話が単純化しちゃうのかも知れません。

 

さらにおもろいのが、一時期の社会学者や人類学者、経済学者たちが行った実験によって『人類の社会性の基礎』という、人類には支え合う心がもともとあるんやでーというすげぇ論文が発表されたという出来事です。

同盟

これは「独裁者ゲーム」っていう「自分がもってる金を他のやつに恵んでやってもいいし、全部自分が持って行ってもいい」っていう感じのシンプルなルールなゲームをやらせたら、なんと世界中のどこでやってもほとんどの人が持ってる金の最低20%を人に恵んでやるという選択をしたので、

 

人類ってすげぇ!ラブ&ピース!!みたいな感じになったんですが、

この実験はその後、中古市場の商人なんかは、20%どころか何も知らない相手には高値をふっかけてるよね?というビジネスで考えたときの突っ込みが入り、

 

「研究者が見てる前でわざわざ独裁するやつなんていない」「金だって実験の為に渡されたやつなので、そんな状況ならほとんどの人が20%くらいくれてやる」ということが判明して盛大に散りました。

参考:スティーヴン・レヴィット著『ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する』

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といっても、これは実はさっきの行動経済学の話とも一緒で、金が絡むと人は不親切になるっつーことです。

 

面白いのは研究者(神)みたいなものに見られていたら、人は神から与えられた物の20%くらいは他人に分け与えちゃうってことが言える点です。

 

宗教はこういった人間の心理をついてすべては神からの贈り物とか、神によって人は生かされているみたいな考え方を普及させてるのかも知れません。とにかく金の事を考えさせなけりゃ人は人に優しくなれるのです。そういう人からごっそり搾取しようという人が現れなければ……。

 

そういえば宗教をやってる人は情報商材や高いふとんなどを売りつけられやすいそうです。カモにしやすいみたいですね。

 

結局、お金のことを考えてしまうと数字を増やすという単純なことだけにフォーカスしてしまうので、他の要素を考える余裕がなくなってしまうのかも知れません。

 

逆に神でも世間でもなんでもいいから、監視がついているということに意識がいくと人はなかなか独裁的にはなれないってことでもあります。独裁者ってのは誰からも監視されないからこそ独裁者たりえるってことなのかも知れません。

 

人類ってのは一応はお互いに物々交換したり助け合って生きて来たので、人の目とか相手の感情とかを本能的に気にしてるのでしょう。その本能を無視させる新たな宗教が「金」だったと考えることもできます。

合気道の贈与

さてさて、ここらへんで合気道で使われている贈与について説明していきましょう。これは相手を動かすための手品のタネみたいなもんです。

 

実は合気道と贈与は深く関係しておりまして、合気道開祖が書いた技術書『武道』では「敵(相手)は神からの賜りものと心得よ」という感じで、

 

敵すらも神からの贈与だと書いています。そう考えておけば冷静に対処できるってことなんじゃないかとも思いますが。

 

あるいは相手に手を掴ませるときも「持たせる」と言って、相手にただ「持たれる」のではなくこちらの意志で所持させる、贈与するといった表現が使われることがあります。

食べる?

相手に「持たせる」というのは自分の「重み」を相手に贈与するという考え方です。相手はこれを受けるにあたってどうしてもその重さの影響を受けます。

 

そうやって自分が贈与した重さを相手が受け取った反発力を利用することで、相手を簡単に動かすことができます。

 

なんのこっちゃわけわからんという人は下記の動画を30秒からちょろっと見て貰えばわかるでしょう。ダンベルを使って分かりやすく重さがかかった時の人の反応がわかります。

 

これはいわゆる迷惑なタイプの贈与、裏がある贈与ですね。真の目的はこちらの思うままに相手を操ることなので。「拒否したら譲歩法」と同じような感じで、どでかい重さをなんとか拒否しようとしたら譲歩による誘導が始まるのです。

 

贈与の恐ろしさと言うのはこのように、望んでなくても動かされてしまうってことです。

逃げろー

じゃあこれに動かされないためにはどうするかと言うと、適切な断り方を理解しておく必要があります。特に武道的な贈与というのは「ホラ、これ受け取らないとマズイぞ」というような感じで与えられます。

 

簡単に言えば「防がないとマズイ攻撃」です。そしてこれは防いだとしても受けてしまうと利用されるというなかなか迷惑な贈り物なのです。呪いみたいなもんですね。

 

対処としては相手の意図を理解した上で適切な距離を保つことになります。この距離を取るという行為をすることで相手からの贈与の気配を察知し、瞬間的に貰ったものを返してしまうことができるし、あるいは貰う前に止めることもできるのです。

釣りあい

「どうぞ」に対して「結構です」と即答する感じですね。距離があればいきなり贈与物を握らされたりすることもありません。また貰った瞬間にはこっちからもそれ以上の贈り物ができる用意ができます。

 

贈り物でもそうですが、一回手に取ってしまったら返しづらくなりますが、相手の手を離れる前ならもう一方の手に贈与して循環させることができるのです。だいたいからして攻めてる方が主導権を握れるということでもあります。

 

このような感じで相手と自分のバランスを保つことが、合気道における贈与対策と言えます。

 

そして理想的な話をするのであれば、いつまでも受け入れられるはずのないデカい要求をして、譲歩を繰り返すのではなく「ここ!」という適切な重さを見つけていくことが必要になってきます。

 

先ほどの動画で言えば、後半になるほど重さは相手にかからず、その前の準備や攻めの姿勢の方が大事になってきます。

 

要するに相手を自ら進んで動くように誘導する「敵そのものをなからしむ」を目指してくという感じですかね。

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贈与とは何か?

合気道の考え方として物理的なものも精神的なものも同じものであるという陰陽の考え方があります。

いにゃん

贈り物というのは「重さ」があります。それは精神的に感じる重さもあるでしょうし、肉体的に感じる重さもあるでしょうけれど、これを同じことだと考えます。

 

どちらにせよ贈与を受けた時に、物理的にも精神的にもまったく反応しないというのは難しいことです。そしてその反応を利用されるから贈与には効果があるわけです。

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これは自然なことであり、絶対に起こる反応なのでこれを一切なくすというのは不可能です。

 

精神的には気づかないという究極の方法があるかも知れませんが、物理的にはどうしても反応します。死んで霊体になっているくらいのレベルじゃないと物理の壁を突破することはできません。

 

最初に説明した通り、金銭を意識すれば他の価値観を排除できるので、逆に考えると贈与の効力を半減させることはできるかも知れません。気持ちを度外視して原価とかで考えるとすげぇ嫌なやつになれる気がします。

 

ただ、そうなってくると金銭を意識させない贈与には計り知れないパワーがあるということになります。

 

それがわかる簡単な例は小遣いをめっちゃ貰ってる子供です。いや、思いっきり金銭の話やんけと思われるかも知れませんが、まぁ聞けよ。

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お小遣いをめっちゃ貰える子供というのは、もちろん親が金持ちというのもあるでしょうけれど、それ以上に親に愛されるだけの要素があるということであり、親が必要以上にお小遣いをあげてるという意識が少ないということでもあります。

 

これはその子が親に甘え上手だからという理由だけで成り立つことではなく、親側が勝手に「歳を取ってからできたはじめての男子だから」とか「何人も流産した後の子だから」とか「初孫だから」とかいう特別な要素を勝手に見出している場合があります。

 

つまりその子の実力や人格とは関係なく、自分から能動的に何かを贈与しているわけでもないのに多くの物を贈与されることがあるのです。

 

合気道開祖は「歳を取ってからできたはじめての男子」に該当していたため、当時の価値観も手伝ってお父さんである与六さんにムチャクチャ溺愛されたそうです。

 

「なんか最近、息子が元気ないから先生を招いて柔道の道場を家に作ってやった」とか「息子(開祖)がリーダーで北海道に開拓に行くから全員分の旅行費だしてやった」とか、一切の出し惜しみを感じないレベルで金を出していました。

参考:植芝吉祥丸著『合気道開祖植芝盛平伝』

 

結局、合気道開祖は親の莫大な親の財産をほとんど使い切ったと言われています。

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親に「金の問題じゃない」と思わせることができればこういうこともできてしまうわけです。このような感じで圧倒的な贈与が与えられる理由は金銭では判断できないと思います。

 

霊的・精神的な重みの方が実はデカくて、一方がじゃんじゃん金を払っていてもアイドルや宗教から「愛」とか「救い」みたいなものを貰っていると、その重さは金銭を軽く超えてしまうのです。

 

だから贈与とは何か?というなら、それは「循環」だと考えるのが良いように思います。

 

合気道には自然と一体になるといった考え方もあって、循環というのは自然現象です。大自然の中では食物連鎖やら共生やらといった循環が自然に起こっており、その自然を見習おうということです。

 

合気道はこれを「生成化育」とも言っており、生まれて育って何かを育てて死んでいくという人生も自然のひとつの姿であり、循環であるということです。

生成化育

相手を倒す時にも、倒れる方向に力を与えてやり、ふんばられたらその力を貰ってまた動かして倒れる方向へと力を加える、という感じで相互に循環を行うわけです。相手からも力を貰うからこそ、触れずに倒すなんてこともできたりするわけです。

 

一人の力で相手を倒すには大きな力が必要になりますし、相手にも抵抗されます。逆に相手に贈与してしまえば相互に循環させることで、お互いの力をひとつのゴールに導くことができちゃうのではないでしょうか?

 

昨今のコロナ騒動で人の外出が減り世界的に移動がなくなったことで原油価格がマイナスになる、つまり「金を払うから誰か原油もらってくれ」という現象が起こったそうですが、

参考:原油先物のマイナス価格から1か月:危機は再び起こるか

 

これは原油を貯蔵しておくための場所と容器がなくなってしまったことが原因らしいのですが、要するに「循環」が止まってしまったということですよね?

錬る

一般的にどんなに価値があるものであっても「循環」することができなくなってしまうと価値が失われてしまうということです。運動しないで飯ばっか食ってたらデブになるみたいな話で、ためこんでしまうと後でツケを払うことになるのです。

 

「循環」だと考えた時に、大事になるのはお返しではなく、生み出しだと思います。循環することで贈与されたものをどのように活用したか?

 

贈与に対するお返しというのは必ずしも貰った相手に返せばいいというものではありません。中にはお返しは不要とか、お返しされて迷惑がる人だっています。

 

これは贈与が相手から何かを貰いたいからするものではないからです。貰ったから相手に返せばいいというシンプルなものでもありません。

 

与えたものをまた他の人に循環してくれるからということで何かをくれる人もいます。武道をはじめ、科学研究なんかは技術や思想を次につなげて循環し、発展させてくれるから贈与するものだと言えるでしょう。

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つまり贈与とは循環させて生み出すものなので、必ずしも相手に返す必要が無いとわかれば、裏のある贈与にはひっかかりにくくなるんじゃなでしょうか。

 

ゲームで負けて腹を立ててスクエニを脅迫して逮捕されたニュースで、とあるYouTuberが「悪いことがあった、プラスのことをすればいいのに」と言っていたのですが、悪いことだっていい事に転換してしまえば、新た何かを生み出す力になるでしょう。

 

まぁそんなことがやすやすとできりゃ苦労はしねーよという話ですけどね。

 

自分も色んなものを人から貰いまくっているのですが、何らかの形で循環できているのだろうか?と最近ふと気になりました。

 

ただ、色んな物を貰えるということは、与えられるだけの価値があると思ってもらってるってことなんで、貰えるからには貯め込むことなく循環して何かを生み出していきたいですね。

 

単純に返すアテがないのは秘密である。

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