隙をつくらない為にはどこを意識すればいいのか問題の今と昔:不動智神妙禄より

何かに気を取られていて、何かに気づかない、ひとつのことに集中すると他のところがおろそかになる。

 

そういう人間の性質みたいなものは永遠のテーマとも言えます。

 

今回は戦いにおいてはどこに意識を置いといたらいいんだ?!という問いに、

 

あの沢庵宗彭が答えてくれたという書『不動智神妙禄』の第5節、心の置き所についてちょっと解説してみます。

目次                    
不動智神妙禄第5節 現代語訳バージョン
解説
おまけ 孟子 告子篇 現代語訳バージョン

不動智神妙録第5節

心の置き所
 
 
意識(心)はどこに向ければ良いのか?
 
 
敵の体の動作を意識するとそこに意識を取られる。
 
敵の剣を意識すると剣に意識を取られる。
 
敵を切ることを意識すれば敵を切ることに意識を取られる。
 
自分の剣を意識すれば自分の剣に。
 
切られまいとすれば、切られまいといすることに意識を取られる。

構えを意識すれば構えに意識を取られる。
 
 
とにかく意識を置く所はない。
 
 
ある人は自分の意識をよそにやると、意識が行った所に意識が取られ敵に負ける。私は意識をヘソの下に押し込めて動かさず、敵の働きを見て転化させようと言った。
 
確かにそうだろう。

しかし仏法の向上というレベルから見ると、ヘソの下に押し込めて動かさないというのはレベルとしては卑しく、向上ではない。
 
修行や稽古の時のレベル。
 
敬うという字のレベル。又は孟子が心を求めよと言ったレベルです。
 
向上できるレベルではなく、敬うという字の心持ちなのです。心を求めよについては別途記述するので参照してください。
 
 
ヘソの下に押し込んで動かすまいとすれば、それに意識を取られてしまう。
 
これでは不自由になる。
 
 
ある人はこう問いました。
 
意識をヘソの下に押し込めて動かないのも不自由で使えないのなら、身体のどこに意識を置いたらいい?
 
 
私はこう答えた。
 
右手に置けば右手に取られてバランスが崩れる。眼におけば眼に取られてバランスが崩れる。右足におけば右足に取られてバランスを崩す。
 
どこか一ヶ所に意識を置くと、他の所の意識が欠けてしまう。
 
 
じゃあどこを意識したらいいんだ?
 
 
私はこう答えます。
 
何処にも置かなければ、全身に行き渡り全体に伸び広がり、手を使うときは手を活用し、足を使うときは足を活用し、目を使うときは目を使う。
 
使うところまで行き渡っているほど、それを活用できる。
 
もし一ヶ所に意識を定めていたら、一ヶ所に意識を取られて使えない。

 
思案すれば思案に意識持っていかれて道理すら残らない。
 
意識を全身に捨てて置いて所々に止めずに必要な時に必要な所を活用するのです。

 
意識を一ヶ所に置くと偏って落ちるということ、偏るとは一方に片付いていることをいう。
 
正とはどこにも行き渡ったということ。
 
正心とは全身に意識が伸びて一方につかないかことをいう。
 

心が片方に片付いて一方が欠けるのを偏心と言う。

偏(かたより)は嫌いです。全ての物事に堅まっているのは、偏りに落ちていて道理に合いません。
 

どこに置こうと思わなければ、意識は全体に伸び広がり行き渡る。
 
意識をどこにも置かず敵の働きによってそのつど意識を活用する。
 
 
全身に渡っていれば手がいるときは、手にある意識を使い、足がいるときは、足にある意識を使えばいい。
 

一ヶ所に決めて置いていたらその置いたところから引き出して持っていこうとするほど、その所に止まってしまって活用できなくなる。
 
意識を繋ぎとめて余所にやるまいと我が身に引きとどめて置くと、我が身に意識を取られる。身の内にほうっておけば余所にはいかない。

一ヶ所にとどめない工夫が修行です。
 

意識をどっこにもとどめないのが大事。
 
どっこにも置かなければどっこにもある。
 
意識を外にやっても、意識を一方に置けば九方は欠ける、意識を一方に置かなければ十方にある。

解説

いかがだったでしょうか?
 
要するに
 
Qどこを意識するのが正解なのか?
 
Aどこも意識せずに必要な時に必要なとこを使えるようにしましょう。
 
ということをやたら長々と説明しているわけです。
 
 
ですが、こうやって何かひとつのことだけに意識をとらわれないようにするというのはなかなか難しいものです。
 
稽古でも、相手を突こうとか、こういう技をかけよう、ということを考えている内はまだまだということです。
 
人間というのはとにかくひとつの事に注目することが難しく、また注目していると別のところがおろそかになってしまう。
 
この使い所が大事になってくるでしょう。
 
ちなみに、このどこにも意識を置いていない状態になるとどのようになるかを簡単に体験できる稽古方法があります。
 
それに関してはまた別の記事で説明します。
 

孟子 告子篇

孟子、告子篇:心を求めよ
孟子曰く、仁は人の心、義は人の道。その道をすてて、その心を放っておいて探求しないというのは哀しいこと。
 
飼っている動物が逃げたら探すのに、心を探すことはしない。学問の道とは放たれた心を探求すること以外にない。
 

関連記事

瞑想に関してはコチラ
https://budoresearch.com/japanese/science-jp/budo-and-meisou.html
 
陰陽論についてはコチラ
https://budoresearch.com/japanese/philosophy-jp/inyo-ron.html
 
 
 

参考文献

※こちらはガチの文献なので、ネットで検索すればもっと簡単なのが出て来ます。
 
 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です