ベジタリアンとビーガンの確執から学ぶ差別と同族嫌悪の科学:武道武術に仲の悪い流派が生まれる理屈
誰にでも嫌いなタイプの人間ってのはいるでしょう。自分も昔、学年がひとつかふたつ上ってだけで偉そうにする奴が大嫌いだった時期があります。
ただ、そういうキライって感情が行き過ぎると「上の学年は全部クソ」とか「先輩ヅラするやつはゴミ」といった過度な一般化につながっていきます。
武道武術でも、あいつらはわかってねーな、みたいな話はよくありますね。
こうした批判は適切ならいいんですが、情報不足で批判してる場合は自分の足を引っ張るんで気をつけよーぜというのが今回の趣旨です。
目次
・差別をするやつはバカ
・似ている者ほど憎みあう
・違うもの同士を結ぶ
差別をするやつはバカ
差別と知性の相関関係を調べるといった内容の論文が発表されて、一部で話題になってました。(1)
この論文はこれまでに行われた研究論文をまとめてメタ分析を行ったもので、年齢や知性、年収といった要素を調整しても、知性が低いほど差別主義になりやすい傾向があることがわかったそうです。
ちょっと考えたらわかると思いますが、基本的に差別をする人の多くはあんまり細かいことに目を向けてません。
政治や会社なんかではよくあることなんですが、状況が良くない原因をひとつの民族とか人物のせいにすると、解決する方法がめちゃくちゃ単純になります。
知性が低いと細かい事を考えるのがめんどくさいので物事を単純にしたがる傾向があるみたいです。
もしかしたら自分の考えって間違ってるかも、みたいなことを心のどこかに置いとくのは大事っぽいです。場合によっては変なバイアスがかかってることもあるので気をつけたいところです。
知性に関しては宗教的な人は頭が悪くなるという研究もあります。(2)
ちなみにコチラは単純に頭が悪いから宗教を信じるんだぜって話ではなく、なんらかの宗教を信じていると、その考え方に影響されてよく吟味せずに不合理な選択をしてしまう場合がある、という感じの結論です。
昔、某宗教をやっている人が「神の声が聞こえたから友人の借金の保証人になった」みたいな話をしているのを聞いたことがあります。
酒は飲んでも飲まれるな、じゃあないですが、宗教も信じても信じさせられたらいけないかもですね。
所属するグループの意見とか、教えとかを一番だと思いたくなるのは人情ですが、あえて反対意見を知っておくってのも手でしょう。
武道や武術もこんな宗教的なところがあります。
信じるのはいいんですが、やっぱ武道武術なので実際に稽古して、使ってみて、研究した上で信じたいものです。
似ている者ほど憎み合う
アダム・グラントの著書『ORIGINALS』によると、おもろいことなのですがビーガンとベジタリアンは仲が悪いんだそうです。(3)
ざっくりと説明するとビーガンってのは動物を殺すのはかわいそうだから野菜しか食いませんという一派で、ベジタリアンってのは野菜中心の食事をしますって一派みたいな感じらしいです。
正直なところ詳しくない身からすると違いがよくわからないんですし、この分類があってるのかも不明ですが、こういうグループほど仲が悪いんだそうです。
要するにビーガンは「ベジタリアンどもは中途半端に卵とか喰いやがってアホかよ」という感じになり、ベジタリアンは「やりすぎじゃね?」みたいな感じで、外から見ると50歩100歩じゃね?って感じなのに中ではギスギスしているということみたいです。
最近ではシーガンなる貝ならOKみたいな派閥もできてるみたいで、似た者同士対戦にさらなるチャレンジャーが現れてるようです。
その他にも『ORIGINALS』ではギリシャで行われた最も保守的な政党の党員は、革新的な政党よりも自分たちに似た政党をボロクソに言ってる、みたいな研究も紹介されています。
要するに似ている分、ちょっとした違いが気になるってやつですね。コカ・コーラとペプシ、マックとバーガーキングみたいな話です。
まあ、武道武術にしたって同じことが言えますね。パンチの打ち方がどうだとか、筋肉の付け方がどうだとか、剣の振り方がどうだとか、こうした話は山ほどあります。
武道武術やってるなら格闘技のリングにあがって強さを証明しろ!みたいな話も同じですね。こういう時にあがるのは空手や中国拳法などの徒手で戦う武道武術です。
剣道とかなぎなたとか弓道の人に、格闘技のリングに上がってみろやと煽る人は少ないでしょう。要するに似た者同士だからこそ、こうした争いは起こるのです。
個人的にはこの手の争いはキノコ・タケノコ戦争みたいな感じで、良い感じにお互いが切磋琢磨できるように煽り合えればいいと思います。
ちなみにマツリはキノコ派です。
タケノコの里の方が支持する人が多いようですが、タケノコみたいにチョコレートの少ない明らかにコスパの悪い商品をありがたがって喰うような貧相な舌の持ち主が多いということ自体が日本における問題であり、タケノコ派の方が多いということは所詮は「私はこの程度の舌の持ち主です」などと主張しているに過ぎず、むしろ憂うべき事態であると考えられます。というかタケノコ派であるということを考えなしに表明するような人は自分が他人からどのように観られているかという客観的視点が欠落しており、ここにおいてもお里が知れるというもんです。タケノコの里だけに。つまるところ日本においてキノコ派を増やすという事は、ひいては日本における知的水準を高めることにも寄与するわけでして、現状はまさに憂うべき事態であり一刻も早い改善と多くの人の啓蒙が必要であることは間違いありません。
ですがみんな違ってみんな良い、そんな気持ちで毎日を送っています。何々派がいいだの悪いだの、小さなことじゃないですか? みんなでシェアして喰いましょう。
違うもの同士を結ぶ
間違った情報を信じている人の考えを変えさせるには、相手が自分が思っているより知識がないということを理解させるしかない、という研究もあります。(4)
というかこうした差別をする人は自分の主張が崩されるのを怖れているのか、あんまり深く調べるということをしないそうです。
アダム・グラントは『ORIGINALS』で、こうした問題の解決方法として相手との違いではなく、共通点を見つけることで違った者同士が手を取りあうことができると主張しています。
最近(2020年)Twitterなどではフェミニストを名乗る人々が暴論を振りかざしているというような話題がでてきてますが、かつてアメリカでまだ女性に参政権がなかった頃、婦人参政権運動を行っていた団体とキリスト教禁酒連合が同盟をつくりました。
一見まったく関係なさそうな組織ですが、キリスト教禁酒連合が婦人参政権を「飲酒という暴虐から家庭を守るための武器」と捉えることで強力な同盟関係を築くことができました。
こうしてアメリカの多くの州で婦人参政権が成功したとのことです。
他者の価値観を変えさせるのはむずかしいが、自分たちの価値観と相手がすでにもっている価値観の共通点を探し、結びつけるほうがずっと簡単である。
アダム・グラント『ORIGINALS』より
過激な意見は強烈な印象を与えますが、賛成する人は少なくなります。
節度ある意見は面白みはありませんが、多くの人に受け入れられます。
こうしたふたつの意見の間を取ることが重要であり、これもひとつの陰陽の考え方だと言えるでしょう。
違うものなどなく、共通点がみつかれば結びつけることもできるというわけです。
というわけで、反対意見の人や組織とも共通点を探してみるというのはいい突破口かも知れません。
武道武術においては人間の基本的な共通した部分を見つけるというのは、相手を攻略するうえでは重要なことです。
稽古として、意見の違う者でも共通点を見つけて攻めてみるというのは面白いかも知れません。
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意外と知られてない武道の哲学を学んでおく:陰陽論入門
参考文献
(1)明るい心と暗い態度:認知能力の低さがグループ間の接触が少ない右翼イデオロギーを通して大きな偏見を生むと予測される(英語論文)
(2)推論と宗教の負の関係性は特に直感と論理が矛盾する場合にバイアスによって引き起こされる(英語論文)
(3)アダム・グラント著『ORIGINALS誰もが「人と違うこと」ができる時代』(Amazon)
(4)遺伝子組み換え食品の反対者は最も無知だが最も知識があると思っている(英語論文)