瞑想の境地は悟りと心停止!?『瞑想と認知科学の教室』

いつものAmazon Kindle Unlimitedがなければ恐らく読んでない本シリーズ。

 

今回は苫米地先生とヨーガの指導者という成瀬雅春先生との対談本です。

 

苫米地先生は言わずと知れた科学界の 変人 異端児ですが、対する成瀬先生は空中浮揚ができる全インド密教協会が認めるヨーガの王なんだそうです。

 

この対談本の素晴しい所はどっちもめちゃめちゃ怪しい!というところじゃなかろうかと思います。

目次

・奇跡的にバランスの取れた対談

・瞑想は極めればも余裕

・悟りとはなんなのか?

1.奇跡的にバランスの取れた対談

苫米地先生は肩書が渋滞を起こしているような人ですが、仏教関係に限ってみれば肩書に負けずマニアックな視点をしっかり持ってるように思えます。

 

釈迦、空海、般若心境など仏教関連の著作も多数出しており、自身も天台宗の僧籍があるということで、日本の仏教の現状に一家言もっているという感じでした。

 

一方の成瀬先生は昨今の瞑想ブームに伴って有名になりつつも、もともと悟りを目指した瞑想をやっておりヒマラヤで修行までしたというガチっぷりを発揮しています。

 

後で知りましたが雑誌の「秘伝」とかでは有名な方らしいです。

 

年齢も苫米地先生より上で、なおかつ宗教的な立ち位置も苫米地先生より上っぽいので、このこともあってか対談は断然面白くなっています。

 

基本的に苫米地先生の対談本というのは、仕方のないことなんですが、

 

苫米地先生が色んな経歴を持ちすぎているせいで対談のパワーバランスがおかしいという問題があります。

 

だいたい苫米地先生がスゴ過ぎるあまり、「先生スゲェ!」って話しに偏りがちなんですよね。

 

が、この対談における成瀬先生はまったく別方向のスゴさを持っているので、結果的にバランスが取れているというミラクルが起こってます。

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マインドフルネス瞑想について、ヨーガの本質から外れた拝金主義で欲望にまみれた瞑想だと苫米地先生が痛烈に批判すれば、

 

成瀬先生が「え?『マインドフルネス瞑想』って本を出しちゃったよ。テヘペロ」みたいな感じで場を和ませてくれます。

 

そんな感じで軽い感じを見せながらも成瀬先生もさらっと、

理想を言わせてもらえば、ヨーガを正しくやろうと思ったらサンスクリット語(インドの古語)やヨーガ経典を踏まえる必要がありますね。まあ、できればでいいかな(苦笑)

認知科学者苫米地英人VSヨーガの王者成瀬雅春『瞑想と認知科学の教室』より抜粋

 

などど現代のエクササイズでヨガをやっているような輩には到底言えないことを言い放ちます。

 

そんなわけで対談内容がなかなかぶっ飛んでいるので面白くなっております。

2.瞑想は極めれば心停止も余裕

さて、成瀬先生が瞑想によって身に着けたと言われる能力はちょっとにわかに信じがたいものばかりです。

 

そもそもヒマラヤでの修行とはマイナス40°くらいの場所で、氷の上に座って半裸で瞑想するそうで、

 

普通ならすぐ死ぬという状況ですが、瞑想で血流とかをコントロールできるようになると楽しくできちゃうのだとか。

 

皮膚の一部とか、内臓とか、瞑想をやっていくと色んな部分を操作できるようになるそうです。

 

とある合気道の先生も「耳が動かせるようになるみたいに、内臓とか皮膚って動かそうと思えば動かせるようになるんだよ」というような事を言っていたので、

 

まったくの荒唐無稽な話ではないように思えますが、実際どこまでマジで出来るのかは定かではありません。

 

そして極めつけは瞑想による心拍のコントロールで心臓を微細動の状態にできるのだとか。なにそれ怖ッ!

瞑想によって死にたいときに死ねるという自由が手に入るのだそうです。うーん、ヤバイ。

 

ただ、それは副産物的なもので大事なのは自分の心と身体が一致することだということでした。心と体は同じものだという考え方は合気道とも共通してますね。

 

そもそもヨガの語源もそうだし、本質的な部分で大事なのはそこらへんになってくるのかなという印象です。

 

ヨーガの秘法とされる瞑想は「クンダリーニ・ヨーガ」と呼ばれており、これは尾てい骨のエネルギーを頭頂部と合一させることを目指すそうなのですが、

 

クンダリーニはサンスクリット語で「螺旋」を意味するのだそうです。

 

合気道のFという人も、海外の危険地帯や巨体の外国人を対処するのに役立てている、などという話しも紹介されていました。

 

陰陽を合一させて螺旋を産む、みたいなのは合気道チックな考えでもあります。

 

そんなわけで、根本的なところは武道もヨガも似たようなとこあるよなぁ~というような感しです。

3.悟りとは何なのか?

さてさて、この本ではかの極真空手創始者である大山倍達先生のビン切りについても言及されています。

 

成瀬先生の空中浮揚なんかと同じく、大山倍達先生のビン切りも出来るという事が証明されてから多くの人が再現できるようになったものであり、

 

言わば人間の可能性を示したということになるそうです。なんかキングダムの武神みたいな話ですね。

 

そう言ってしまえばサーカスの剣飲み芸だって人間の可能性と言えば可能性ですが、、、。人間は平たいものなら喉の奥まで入れてもオエッてならないんだそうです。だからといって試したくないけど。

 

ただそういう芸当というのは単なる枝葉であり幹ではないのでしょう。空中浮揚なんかは再現したのがオウム真理教の麻原彰晃だったという皮肉な事実もあります。

 

結局、瞑想にしても自分の健康の為とか、人から称賛されるためにやると本質とは離れてしまうって話しで、武道なんかでも同じようなもんです。

 

瞑想の難しいところは、仮になんらかの悟りを開いても、それがどの程度のものなのかを調べる方法がない点です。

 

武道武術であれば、どんだけ悟りを開いたとほざこうが相手にきちんと効かせられなければ意味がないので、そういう意味ではまだ検証の余地はあるんじゃないでしょうか。

 

合気道開祖にしても、「黄金体体験」と呼ばれる一種の悟りのような体験をしたと言われてますが、技が実際に神秘的になってきたのはさらにその後の時代からです。

悟りが精神的な発展なら、結局のところ肉体もそれに追いつかせる必要があるんだろーなーと思いますが、とりあえずまだまだ基本すらままならないマツリくんには縁のない話です。

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